2017 / 10
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みつこさんが特養に入所して早いもので1ヶ月が過ぎました。
おかげさまで、割合落ち着いた状態で毎日を過ごす事ができています。
前の日記にはその時その時で記録は残してありますが、もう一度、在宅が困難な状態になってから、実際に特養に入所するまでの間の出来事を、ここに、まとめてみたいと思います。

昨年の11月には、みつこさんはよしおさんの白内障の手術のための5日間の入院に合わせて、ショートステイ5日間、初体験をしていました。

あの時には、まさか、1年後に特養へ入所していようとは、思ってもみませんでした。

あの時の初めてのショートステイの後、みつこさんは、家に戻っても3日間くらい、家がわからなくなってしまいました。
「私、家に帰らなくては・・」と、徘徊をするのではないかと、とても心配をしたのを思い出します。
実際に、徘徊をすることはありませんでした。

当時は「食べ尽くし」の真っ最中で、私は毎夜、食べ物を持ち帰っていました。大きなエコバックに冷蔵庫の中身を詰めて、持っていったり、持って帰ったりの毎日でした。
それでも、全ての食べ物を持ち帰るわけではないので、みつこさんは枕もとにぐるっと食べ物を並べて、ひとりで、真夜中のディナーパーティーをしていました。

おそらく、それもあって、胃潰瘍になりつつあったと思うのですが、朝、行ってみると、嘔吐した跡があることがしばしばありました。
アリセプトのせいなのかと思って、嘔吐の有無を表につけて、アリセプトを抜いてみたりもしていました。

そんなことが続いた今年(2007年)の3月8日。とうとう吐血してしまいました。
その、何日か前から、足の痛み止めとして、ロキソニン(経口鎮痛剤)を飲んでいました。もともと胃を壊していたところへ、薬が入って、一挙に胃壁を溶かしてしまいました。

この時を境に、一挙に在宅で過ごす事が非常に困難な状態へと進んで行きました。

2007年3月8日から、2007年4月4日まで、家から15分ほどの所に有る中規模の総合病院へ入院しました。
認知症を発症してから始めての入院でしたので、命の心配はしたものの、入院するとどんな状態になるか、などと言う事までは頭が回っていませんでした。
試練は最初の日からありました。絶対安静状態であるにもかかわらず、本人は理解できないため、点滴は引き抜く、廊下に出る、尿管も抜き取る、、、など、大混乱になりました。
この時病院から申し渡されたのは、24時間家族で付き添う事、それが出来なければ転院(退院)して欲しいと言う事でした。

一時、通院している大学病院の精神科への転院を考えましたが、まずは、内科の治療を最優先にしたいと思い、思いとどまることにしました。

24時間の付き添いは、原則は家族でということになっていましたが、我が家は私と夫のふたりしか付き添える人がいませんので、それは不可能であり、「家族」という名目で、つきそいさんを頼みました。

本人に対しては、やはり治療優先で、ミトンの装着と言う身体拘束と、泥酔したようになって食事も眠りながらの状態になるほどの、薬物による拘束がありました。

幸い、1ヶ月ちょっとの入院で、病状は安定し、退院できるまでにこぎつけることができました。
病院では、1対1で、誰かがつきそう生活をしていたため、自宅に戻って、私ひとりで看護師さん兼、つきそいさん兼、主婦を兼任はどう考えても不可能でした。
当時はまだ、ヘルパーさんの導入も未経験で、どうしてみたら良いのかもわかりませんでした。

最大の問題は、入院生活で、排便時に手、身体を汚すようになったことでした。それを手助け無しに、たったひとりで介助することは、その当時の私には到底無理でした。

ということで、退院のめどが立った頃から、ケアマネさんと相談の上、まずは病院の医療相談から、退院後のアドバイスをもらうことになりました。
医療相談でのアドバイスは、病院と在宅との橋渡しということで老健への入所を勧められました。
具体的に空きのある老健を紹介して頂き、実際に見学に行く事になりました。
「今、空きがある。」と教えられた老健を訪ねて、愕然としました。詳細は省きますが、どうしてもそこへみつこさんをあずける気にはなれず、その足で、自分で他の老健を巡ってみることにしました。

みつこさんは、認知症対応棟に入る事になります。ここならば許せるかな(?)と思えるところは、数ヶ月は待たないと無理なようでした。

何ケ所かの老健を見学した後、直感でしかありませんが、2ヶ所、良さそうに思えるところに的を絞りました。
その、どちらかに入所できるまでの間を、ケアマネさんと相談の上、ショートステイに滞在して凌ぐことにしました。
1ヶ月か、2ヶ月か、どのくらいになるのか検討もつきませんでしたが、ショートステイ先はケアマネさんにお任せして、良さそうなところで、入れるところを探してもらいました。
こじんまりとしたショートステイで、1階、2階合わせてトータル10名くらいの利用者のところが受けて下さったので、退院の日から直接ショートステイに移ることにしました。
入院中に、ショートステイ先から、事務の方と看護師さんで面接に来て頂きました。(続く)
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【】
特養に入るまでいろいろと試行錯誤されたお話を聞かせていただいて、とても参考になりました。

退院後にヘルパーさんなしでお1人で全てやってらっしゃったときは、ほんとうに大変だったと思います。

うちの伯母も入院の時は点滴や鼻のチューブを引き抜いたりしてました。
そのころはかなり元気に歩行できてたので、動き回れる認知症の患者が一番困る、と言われてました。
クスリでの拘束があるんですね。長い期間強い薬を飲むと忘れっぽさも進行しそうで怖いです。
認知に対応している病院を考えていたんですが、やっぱり同じような対応になりそうですね。
つきそいさんをお願いする費用も一応考えておいたほうが良さそうですね。

私のブログにコメントの返信をさせていただいたんですが、脚の壊死してる部分から感染症が拡がったらすぐにでも膝下を切断すると言われながら、なんとか今までもってます。診断が出たときは翌月にでも手術する事になりそう・・・といわれてたので、準備期間ができて少しほっとしています。

お母様の日常の事、特養の方がよく診てくださってて「立場が逆転」なんて、素晴らしい職員さんに恵まれましたね。鍼治療の時の持ち物のこととかほんとうに連絡が行き届いているなぁと思います。

【*☆YURI☆さんへ】
YURIさん、書き込みありがとうございます。

病院へ入院すると、認知症でない老人でも、多少は変になってしまうと言いますよね。
認知症だと、ほんとにたいへんですね。本人が一番混乱するわけで、気の毒です。
少ない経験からですが、入院が必要な時には、まずは病気の治療がきちんとできるところで、かつ、精神科など認知症の症状を診る事ができるところがベストだと思います。

精神科が主な病院では、今度は体の方が心配ですしね。

母は2度目の入院は、かかっていた精神科のある、総合病院へ入院しました。
そのまま精神科も病棟へ診察に来てくれましたので、薬でべろべろになるようなことはありませんでした。

伯母さまは動脈閉塞とか、どうか、お大事に、脚が持ち堪えられられるように願っています。

つきそいさんは、実費ですし、病院の許可も必要で、経済的にもとても大変です。
長期になったら、ほんとに困りますよ。入院中は介護保険もきかないし。
身動きできない間は、看護師さんにお願いできると思うし、ある程度の拘束で無事にいられるなら、緊急時はしかたがないと私は思います。

母はどうやっても、じっと大人しくしていてくれなかったので、病院から付き添うことを約束させらてしまって、止むを得ずそうしました。

今のうちに、良い方法を考えておかれることをお奨めします(^^)

母は、今は特養で、とてもよく見ていて頂いているので、とても助かっています。
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Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

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