2012 / 02
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施設によって違いがあると思いますが、私が経験したものは、介護士の訪床回数が多い、亡くなるまでの10日間の介護に点数加算がされるというような規定があり、費用面でわずかに+になります。期間に期限はありません。訪問診療、訪問看護の導入は癌の時だけ適用されていたので、他の病気の場合は、施設提携病院からの往診時(週1施設医務室にて)に医師に訪床してもらうということになっていました。

看取り介護というのは、どういうことなのか、最初はわかりませんでした。
よく、話を聞くうちに、それは、経験の浅い、前途ある介護福祉士さんのメンタル面での助けとなるものでもあることがわかりました。夜勤は人数が少なく、気がついた時には亡くなっているということが充分に有り得ます。その場合、看取り介護契約がなされていないと変死として警察の検死を受けなくてはなりません。第一発見者となった、介護福祉士さんには大きな負担がかかります。トラウマになって、仕事が続けられないこともあり得ます。看取り介護状態であれば、「急変は有り得る」と医師の証言が得られますので、検死になることはないようです。

また、看取り介護契約をしてない場合には、心肺停止の状態で発見した場合、介護士、看護師は、まずは心臓マッサージをしなくてはなりません。

もうひとつ患者側の立場からは、看取り介護契約をすることは、その病気では、救急搬送をしません、心臓マッサージを受けませんという約束です。それがないため、救急車を呼び、人口呼吸器をつけることになり、植物状態で入院することになることもあります。救急搬送というのは、救命措置をするということだからです。

最初、看取り介護契約をする時に、契約をしてしまったら、突発的事故が起きても、救急搬送されないの?と思いましたが、そんなことはないという返事でした。


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みつこさんは最後の入院で、末期の癌がわかり、積極的治療はしないことになりました。

施設入所中のことでしたので、入院が3ヵ月を越すと、退所しなくてはなりませんでした。
一方、治療をしないということになると、病院も退院(もしくは転院)しなくてはなりませんでした。

とても手厚く介護をしてくれている施設でしたし、介護士さんたちスタッフは個人的感情としては、皆さん、「みつこさん、早く戻っておいでね。」と言ってくださいました。毎日誰かがお見舞いにきてくれて、「早く戻っておいでね。」と言いつづけてくれました。

私も、後は介護だけの状態であるのならば、介護ではより優れている施設へ帰りたいと申し出ました。私は医療とどう係ればよいのかとか、最後の時までに、みつこさんにどういう変化が訪れるかとかを深く考えず、安易にセンチに考えてしまいました。みんなの待っててくれる施設に帰りたい、施設に帰ったら、少しでも食べれるようになる、お風呂も入れてもらえる・・などと。

施設側は、看取り介護状態であるということで、施設関係者の反応は、直接かかわりのあるスタッフの人たちと同じではありませんでした。みつこさんのことを受け入れたい気持ちは十二分にあるけれど、それには、充分な準備が必要で、気持ちだけで、受け入れることはできないと言われ、準備に奔走して頂くことになりました。


方法はふたつにひとつでした。

ひとつは、「看取り介護」契約をして、施設へもどる。それを実行するための施設側からの要望(病院に対しての)は、患者家族が病院と訪問診療及び訪問看護契約をして、施設へ往診をしてもらうこと。もし、それをしないで、ただ治療することがないからと、退院して施設へ戻れば、施設は重体の人を、通院介助しなくてはなりませんし、急変した場合にはどうするのか、救急車を呼ぶのかどうか、家族の判断を待たなくてはなりません。

ふたつめは、他の療養型病院、あるいはホスピスに移ること。その時の病院も3ヵ月までは居られますから、その間に移動先を探すことになります。幸いみつこさんの病院はホスピスを併設していましたから、それも可能でした。その場合施設は退所することになります。

私は「看取り介護」契約をして、施設にもどり、病院から訪問診療、訪問看護を受ける道を選びました。退院して最初の1ヵ月は、お風呂に入ることもでき、病院では一口も食べられなかったのが、上手に介護してもらって、少しだけ食べたり、みんなに「ありがとう」と言えたり、1ヵ月を過ぎて、容態が悪化してきてからも、訪問看護と診療と施設の介護とで、きっちりと看てもらうことができ、本当によかったなと思えました。

ほんとうに最後の最後の一日を除いては。

急変したのが、土曜日、その週末、主治医は学会出張中。
訪問看護師は夜間休み。それもみつこさんがお願いしていた期間だけ。
施設看護師も夜勤はない。

私ひとりと、2時間おきに巡回してくれる、夜勤の介護士さんだけの中、
みつこさんは肝臓腫瘍破裂の激痛に苦しみ抜くことになりました。
その一部始終を知っているのは、私だけなのです。

そういう最後が訪れる可能性は主治医から説明を受けていて、
その時は病院対応をすると言われていたのです。

結局、施設へ戻ることのメリットもディメリットも両方引き受けることとなりました。
こちらの方がメリットが多いという賭けを打っていたのかもしれません。

ずっと、最後の日のことは私の頭から離れず、自分を責めることになりました。
ホスピスに入っていれば、この苦しみを与えなくても済んだのに・・・と。

でも、苦しんだのは、私だけでなく、
その日、夜勤だった、介護士さんもなのだと最近思うようになりました。
彼女も苦しい想いをしてくれていたのだと思います。葬儀にきてくれて、「あの時、もうちょっと○○していたら・・・」とつぶやいていました。「もうちょっと○○」は聞きとれませんでしたが、最後の夜の対応のことを言っていたことはわかります。彼女には少しも落ち度はないのです。

もしも、ホスピスを選択していたならば。

ホスピスも見学に行きました。施設の中ではモルヒネが使いにくいとか、夜間の看護師不在、訪問看護が夜間受けられないことが支障と感じられる時がきたら、ホスピス転院も検討するかもしれないと思ったからです。

みつこさんのように、重い認知症で意思疎通のできない人には、誰かのつきそいが必要でした。ホスピスは、介護施設ではないから介護士さんはいません。看護師さんがある程度のことはしてくださいますが、手の足りない時には看護師がつきっきりとはいかないと説明を受けました。その点は普通の病院と同じなのだと感じました。

私が、何ヵ月になるのか先が見えないのに、よしおさんを自宅に置いて、みつこさんの介護にホスピスに詰めるのはできないと考えたことも、ホスピスを選択しなかった理由のひとつにあります。
主治医の、「みつこさんは意思疎通ができないので、慣れた施設の方がいいでしょう。」という言葉に後押しされたことも理由にあります。

あまりにも重い問題で、考えても結論は出ません。後悔しても元には戻れません。
どうしたら良かったのかも、本当のところは答えはないのでしょう。
ただ、その時には知らなかったことが一杯あって、目隠しをして藪を分け入るような感覚でしたから、これから家族が看取り介護を受けるかもしれない人にとって、ぼんやりした輪郭だけでも提供できたらと思います。


次回は「施設にとっての看取り介護」について、感じたことをお伝えします。

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認知症の老人を抱えていて、家族が一番辛く感じるのは、病気になって治療を受けなくてはならない時ではないでしょうか。

本人がきちんと症状を言えませんから、どうしても病気に気づくのにも遅くなりがちですし、いざ医療機関にかかっても、普通の病院では、まともに取り合ってもらえないことが多々あります。拒否されることもあります。もちろんあからさまな診療拒否はできませんから、転院を促されたり、家族についていて下さいと言われたりということですが・・・。

認知症の症状がひどくなくて、おとなしい人であって、医療機関で受け入れられている場合でも、実はきちんとした治療が受けられていないこともあります。それは医師との意思疎通がうまくいかないこともありますし、医師が老人の体に対する認識が甘いのではないかと思う事もあります。いえ、年だから、もういいでしょ?ということかもしれません。もちろん、今の医療体制の中で、特別な治療もない老人に一般の医療機関で、たださえ時間のない医師の貴重な時間や本当に治療を要する人の場所を奪わないでほしいということもあることでしょう。

認知症でなくても、体力の落ちている老人に、医療機関の梯子とか、大病院の診療科めぐりとかはできません。ひとりの体を総合的にみてくれる「老人科」というものはできないものでしょうか。確かに大学病院で老年科のあるところはあります。でも、もっと一般的に小児科のように老年科があれば助かるのにと思いますよね。そうでなくても、担当していて下さる先生が、自分の専門だけではなく、もっと全般的に、せめて素人以上の知識を持って頂けないものか、あるいは、調べてみる気持ちを持ってもらえないものか、と思います。忙しい日常の中でたいへんだとは思うのですが・・。


よしおさんの最後の入院の時のことです。

ずっと、循環器内科で心筋梗塞の後のフォローを受けていて、担当の先生がよしおさんのお気に入りということもあって、風邪をひいても、脱水になっても、その先生に担当して頂いて、治療を受けていました。でも、実は内科の中でさえ、専門外のことは詳しくないのが現状なのでしょうか。先生が老人を総合的に診ようという気持ちを持ってもらえないのが原因なのでしょうか。

食べ物を受け付けなくなったよしおさんを、脱水により腎機能が悪化しているからと水分補給の点滴治療を始めました。1年前にも同様の症状で入院治療を受け、その時には腎機能の改善とともに食欲ももどりました。だから今回もという気持ちは家族にもありましたが、今回は腎機能が改善しても、食欲が戻りません。時々嘔吐もしていました。

本人は、「何ともない」「寝ていたいだけ」「食べたくない」を繰り返していました。
最初は好きなものなら少しだけ食べられたり、エンシュアリキッドだけは好んで飲んでいたので、老衰による食欲不振と考えられたのかもしれません。入院当初に、胃カメラなど苦痛を伴う検査は本人も家族も望みませんと伝えてありましたので、後々そのことを、「ご家族は辛い検査は望まないとおっしゃったので・・原因を突き止めることはできませんでした。」と繰り返し言われました。原因をはっきりさせられなくとも、何かできたと思うのですが。

最初は、「どうして食べれないのだろう?」という小さな疑問だったのに、その時に手をこまねいたことで、後々、雪だるま式に悪循環の道をたどることになりました。

食欲不振と嘔吐(たまの)が続いている中、下血がみられるようになる。
  そのことを伝えても、「下血は、看護師からの報告を受けていない」(聞いてないって私が、今言っているでしょう)。
  「仮に本当に下血でも、大腸ファイバーはご家族も望まないでしょう。」(それしか対応はないのですか


食欲不振が少しづつつのり、点滴対応をずっと継続していたため、末梢血管からの点滴ができなくなる。


ぎりぎりのところで、中心静脈栄養に切り替える。これで、退院することも、施設に移ることも不可能になる。それでも、本人は元気を取り戻し、顔色が良くなり、アイスクリームを食べたいなどと言うので、やっぱり老衰なのかなあなどと、私も、その時は思ってしまった。

やがて、吐血。この時点で、「胃潰瘍と思われます」「でも、ご家族が検査を望まれなかったので、調べる方法はありませんでした」と言われる。どこまでも、「家族が望まなかった」「本人が望まなかった」と言われるのです。それ以上、言葉を返すことはしませんでしたが、重いものが心に残りました。

吐血で失われた血液を輸血で補給。一時元気になったけど、抗血栓剤を飲めないでいるので、直に血栓ができ脳幹梗塞を引き起こして、死亡。

92歳という年齢に不足はないです。でも、それにごまかされてしまうのはイヤです。
私自身も「消化器の癌」を疑っていたので、それならば、苦痛をとるだけでいい、と思っていました。でも、本当に胃潰瘍だったのなら、食い止められたかもしれないのに、という気持ちが残ってしまいます。

食欲不振、嘔吐がずっと続いているのだから、検査しなくとも、胃潰瘍の内服薬を入れることはできるはずです。この入院までは、普通に食べて、自力歩行でデイに通っていたのだから、老衰とは言えないと思います。

胃潰瘍の原因も、みつこさんが亡くなったストレスとも言えるかもしれないけれど、腎不全の為の内服薬が原因ということもあり得ると思っています。

すべて、結果として言えることで、その時は流されてしまっていますけれど、大切なことは、医師とのやりとりの中で、感じた小さな疑問を、遠慮せず、その場でぶつけて解決することではないかと思います。

この先生には、認知症の老人の治療はお任せできないなあと思ってしまったら、どうしたらよいのでしょうね。もっと早い時点で、退院して、訪問診療の先生にお願いすればよかったのかなあ、なんてことも思います。

その勇気も、それだけのことを背負い込む覚悟もなくて、私も流されていました。よしおさん、ごめんね。
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今更という感じではありますけれど、
掲示板を設けましたので、介護のこととか、看護のこととか、
どんなことでも、ご自由にお書きください。
なかなか更新がないので、コメントしづらい時にお役に立てればと思います。

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ここからでも結構です。↓
掲示板 
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もう、ずっと以前のことなのですが、今日、ふと思い出したので、書きとめておこうと思います。

みつこさんが施設に入って、しばらくして落ち着いてきてからのことです、私が訪ねて行った時に、介護士さんが話してくれました。私が訪ねていくと、いつも、最近あったことで、私が喜ぶようなことを、介護士さんが話してくれました。その頃も思っていましたけれど、今思うと、忙しい合間に家族の事も気遣ってくれて、いい人たちに囲まれていました。

話というのは、こんなことです。

朝、順番に住人さんを起こして、トイレ、洗面、着替えと手伝って下さるのですが、みつこさんは寝起きの悪い時があって、そういう時には、一巡してから、また後でということもありました。そんなある時、介護士のMさんがみつこさんを起こしに行くと、みつこさんは誰か親しい、懐かしい人とMさんを勘違いして、大感激の様子。「まあ、あなただったの。」っと抱きつかんばかりだったそうです。そこで、Mさん、話を合わせて、「そうよ、みつこさん。私のこと、覚えていてくれたのね。嬉しいわ。」っと、しっかりハグしてくれたんですって。大感激の再会場面を演じてくれたと話してくれました。

私が、介護士だったら、そんなこと、できるかな?

今日のなんくるカード
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与える

与えることは 受け取ること
与えることは 包まれること
宇宙は いつも 見守っている。


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パンドラ

Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

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「両親の改善報告」
「患者家族としての気持ちの変化」
2009.5~6 報告

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