2017 / 04
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ご挨拶・・・娘から父への弔辞

よしおさんの葬儀での「ご挨拶」です。
ごく近親者による家族葬ということもあり、喪主とは言っても、娘として父へのお別れの言葉としたい、それも、つたなくてもよいから、自分の言葉で語りたいと考えて、以下のような挨拶をさせて頂きました。原稿は葬儀が終わってから忘れないうちに書き留めたものです。



本日は父、○○よしおの葬儀にご参列賜りまして誠にありがとうございました。

父は、昨年10月に母が亡くなりましてから1ヵ月ほどで体調を崩し、入院治療を受けておりました。一時は在宅で過ごせるのではないかと言うところまで落ち着き、事実2月の末には退院したのですが、やはり老体には厳しく、懐かしい家で5日間過ごして、また病院へ戻ることとなりました。再入院致しましてから、ほどなく大量の吐血を致しました。吐血で失った血液を補う為に大量の輸血を致しました。輸血後一時元気を快復したのですが、今度は輸血により血栓ができやすくなり、残念ながら、脳幹梗塞を引き起こして、ほどなく息を引き取りました。

父の人生を振り返ってみますと、幼児の時に交通事故により片足を失いました。そのことが後の人生に大きく影響することとなります。父は人は自分の意思ではどうにもならない運命というものを持って生まれてくるのではないかと考えるようになりました。ならば、運命を知りたい、運命を切り開いていく方法を知りたいと考えるようになり、親の強い反対を押し切って、独学で運命鑑定の方法を勉強しました。

まず最初は自分の名前を○○△△とあらため、その名前を使って回りの人々の運命鑑定をさせて頂きながら、学ばせて頂き、しだいにプロとしての道を作っていきました。そうして20代から80代まで一貫して運命鑑定を仕事としてアドバイスを求めて来て下さる方々に貢献してきました。

一方私は、父の仕事が大変珍しかったため、からかわれたり、いじめられたりすることも多く、父の仕事を恥ずかしく思っておりました。大人になってからは「何歳で結婚する」とか「何歳の時には災難があるから危ないことはしてはいけない」とか言われることに、人生を押し付けられているように感じ、とても反発を感じ、父との心の葛藤は深いものがありました。

ところが、父が完全に仕事を引退した80代の後半になって、介護サービスを受けるようになり、介護サービスの先で、スタッフの皆さんや同じ利用者さんの手相をみて差し上げて、とても喜ばれ、人気者になっているという話しを聞きました。父はサービス精神に富み、サービスでみさせて頂く時には決して悪いことはいいません、嘘ではないけれど良いことだけを選んで話すようにしていました。たとえば「離婚する」と言った時には、「でも大丈夫、もっといい人に出会えるから」と付け加えるのを忘れませんでした。その話を聞いた時、私は父が、自分の夢を実現し、生涯それを貫き通したことに気づき、初めて父を尊敬する気持ちを持ちました。

今日こうして人生という学校を卒業して旅立って逝く父を、夢を実現し、それを貫き通し、やりたいことをすべてやり尽くした、良い人生でしたねと、晴れやかな気持ちで送りだしたいと思います。

娘から父への弔辞となりましたが、これで喪主の挨拶に替えさせて頂きます。
ありがとうございました。


今日のなんくるカード
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わったー

わったー 自慢の ハートです
いつも キラキラ 溢れてる
あなたを 優しく 包む愛。
 

   *わったー:わたしたち
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今惜別の時

よしおさんの「お別れ会」の様子を葬儀社の社長さまがブログの記事にして下さいました。よろしければタイトル「今惜別の時」をクリックしてご覧ください。


今日のなんくるカード
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石は意志を持った医師

石は医師 地球の細胞 友だちだ
石に聞いて 尋ねてみよう
クリスタルな 毎日の 始まり。

よしおさんの葬儀も、みつこさんの時と同様、質素なものでしたが、心のこもった温かい儀式になったと思います。

浄土真宗大谷派は旅立つ人に白装束を着せなくてもよいそうなので、よしおさんには一張羅のモーニングで正装してもらいました。手には愛用のステッキを持ちました。

遺影は、デイサービスで91歳のお誕生日に映して頂いた可愛い笑顔のお爺さんです。デイサービスの主任さんに写真データを探して頂きお借りしましたので、とてもきれいな写真になりました。今はみつこさんとふたり笑顔の写真が祭壇に並んでいます。毎日訪ねて行くと、笑顔のふたりが迎えてくれるのは今の私には大きな安らぎになります。「ありがとう、見守っているよ」と言っていてくれるようです。

葬儀は、よしおさんが趣味が多く、そのひとつにクラシックの音楽鑑賞がありましたので、お花のお別れの時にバックグラウンドでバイオリンの生演奏をお願いし、1曲はよしおさんが好きだったチゴイネルワイゼン、後はお任せをしました。よしおさんをお花で埋め尽くし、お別れをする前に参列して下さった皆様に何か心に残っているエピソードを一言づつお願いしました。

私が皮切りで、耳の遠いよしおさんが家族が留守になると大音響でレコード鑑賞を始めて、私たちは外出から帰ってくると、「また、お父さんの大音楽会が始まっている」とよく言ったものです、と話すと、

よしおさんが趣味で飼っていた金魚をもらって、家で育てた、とか
よしおさんが趣味で描いていた絵を見て、絵を描きたくなり自分は美術の道に進んだ、とか
家を訪ねると、趣味の電車や模型飛行機があった、とか
いつも、途切れることなく動物がいた、とか

大人になっても、ある意味天真爛漫だった、いろいろなエピソードを披露して頂くことができました。

それと言うのも、よしおさんが高齢になるまで幸せな人生を歩くことができたからに他ならないと思います。少しづつ気持ちが落ち着いてきて、みつこさんとよしおさん、共にふたりは幸せだったんだ、お世話させてもらった私たちも幸せなのだと気づくことができました。

お空のふたりはきっと仲良く、震災で亡くなった方たちと一緒に、困っていらっしゃる方の方へ手伝いに出かけているのかもしれません。


今日のなんくるカード
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サイレント

たまには 静かな ひとときを
自分でつくって あじわって
内なる光に 入っていこう。

お悔やみコメントを頂きまして、誠にありがとうございます。皆さまのお気持ち、たいへん有難く思っております。おひとりづつお返事をさせて頂きますので、今しばらくお待ちください。

4月20日、午前一時半、まだ私はベッドへもぐりこんだばかりでしたが、携帯が鳴りました。
よしおさんの呼吸状態が悪いので、病院へ来て頂いていた方がよいかもしれない。」という連絡でした。私と夫とふたりで、しばらく戻れなくともよいようにして、病院へ急ぎました。

病院へ着いてみると、少し落ち着いたところということでしたが、意識はないまま、手を握っても握り返すことはもちろんありませんが、温かい手をしていて顔も赤く、ただ息だけがあえぐような肩から上だけの呼吸でした。血圧が40くらいから80くらいをいったりきたり、酸素マスクの中で呼吸も止まりそうになったり、深い呼吸にもどったりを繰り返しつつ、少しづつ下がっていきました。

朝6時になり、夫と交代で一旦家に戻ることにしました。先に私が戻り、1時間ちょっとで交代しました。病院へ来てみると更に少し下がっており、モニターの警告音が部屋の外にももれ響いていました。朝の病院の始まりの時間になると、師長さんが来て下さり、冷たくなり始めた足を温めたりしてくださいました。主治医の診察もあり、輸血から血栓ができやすくなり、呼吸中枢である脳幹に梗塞を起こしたらしいことを説明されました。

夫に早く戻るようにと電話をした頃にはすでに瞳孔も開きっぱなしになっていました。夫が部屋に戻って来たころには、呼吸が頻繁に0になる状態で、もう盛り返すことはなく、彼を待っていたかのように息を引き取りました。その時が9時30分頃。主治医の死亡確認がなされたのが9時44分でした。

眠ったまま息が途絶えていったよしおさんは、眠ったままの本当に安らかな死を迎えました。あれだけ死を恐れていたよしおさんが自分で選んだ、怖くない逝き方だったのではないでしょうか。

恐らく梗塞が始まっていた15日くらいから、よしおさんは両手を胸の上で組み、口をもぐもぐと動かしていました。恐らくその時によしおさんは彼岸へ帰ることを認識したのだと思います。口のもぐもぐは絶対に「南無阿弥陀仏」だったと今は思います。

何故、胃潰瘍がみつけられなかったの?
何故、輸血をもう少し早めに止められなかったの?


いろいろな何故が浮かんでは消えましたが、いつも思ってきたように、きっとこれがよしおさんが選んだ方法だったのだろうと思う事にしました。

吐血後に移った自分の個室で体を清めてもらい、そのままその部屋で休ませてもらった後、主治医をはじめ、たくさんの病院関係者に送られて病院を出て、お昼前にずっと帰りたかった自宅へ無言で戻りました。


今日のなんくるカード
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ティーダの心

まんまる 太陽 わたしの心
ティーダ 輝く いつまでも
明るく 強く まわりを照らす。


   *ティーダ:太陽

よしおさんは、昨晩から呼吸状態が悪くなり、
今朝9時44分、息をひきとりました。
みなさまの応援ありがとうございました。
脳幹梗塞によるものでした。
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pandora*r4.dion.ne.jp

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HP「ふたりの介護」
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終了しました
長い間有難うございました。

Bl「友わんこ&3にゃんこ&パンドラの徒然」

パンドラ

Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

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「両親の改善報告」
「患者家族としての気持ちの変化」
2009.5~6 報告

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