2017 / 11
≪ 2017 / 10 - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 - - 2017 / 12 ≫

2010年10月17日(日)のことです。

(続)時が17日に変わり、薬を舌下してもらった後も荒い息遣いは続いていました。

私の記憶もすでに曖昧になってきましたので、正確ではないかもしれませんが、2時と4時に見回りがあり、息苦しさはどんどん増していました。私は見ていられなくなり、ナースコールをして、薬を早めてくれるように頼みました。

介護士さんが自宅待機の前日の夕方対応してくれた施設看護師さんに電話をしてくれて指示を仰ぎました。私に電話を変わり、何とかしてと頼みこむと、「見ていられないよね。薬を入れよう。」とOKを出してくれました。その時点で看護師さんは17日(日)担当の看護師さんに電話をして、朝なるべく早めに出勤するように頼んでくれたそうです。

しかし、歯を食いしばっているみつこさんに舌下することがなかなかできません。私と介護士さんのふたりで、いろいろ試して、やっと舌下できたのは、1時間くらい先だったように記憶しています。今思えば、それも何の役にもたっていなかったことでしょう。

やがて空が白んでくる頃になると、住人さんたちも起きだしてきます。ユニットでは朝の準備が始まります。ざわざわしてきた中で、みつこさんは私の見守る中で、旅立ちの準備を始めました。


固く閉じていた目を時々見開くようになり・・・
やがて見開きっぱなしになり・・・
荒い息とともに、苦しい声が漏れるようになり・・・・


  私はたまらなくなって、ナースコール


ちょっとして、部屋に入って来てくれたのは介護士さんではなく、看護師さんでした。
みつこさんの為に早出をしてきてくれました。


パ「苦しくてたまらないの。何とかして。
看「もう出来る事がないの。血圧が触れない。手を握っていてあげて。


何度か荒い呼吸をしたあと

見開いていた目を閉じて

あごで息をして

そして・・・呼吸が止まりました。

その後、大きく息をして、だんだん間遠になりながら、大きな息を繰り返して、そして完全に止まりました。
ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」と繰り返しながら、みつこさんの魂は天に上がって行ったかのようでした。

     午前 8時5分でした。




病院が始まる直前、訪看1名、提携病院の医師1名の往診があり、死亡診断がなされました。
時間は午前 8時55分

死因は乳癌。 実際には肝臓の腫瘍の破裂によるもののようでした。



みつこさん、最後に私を呼びよせてくれてありがとう。
旅立ちに立ち合わせてくれてありがとう。
看護師さんを間に合わせてくれてありがとう。
すべて、みつこさんがお膳立てしてくれたのだね。

笑顔を一杯ありがとう!
一緒に認知症と闘ってくれてありがとう!
ありがとう・ありがとう・ありがとう!!!



今日のなんくるカード
----------------------------
サイレント

たまには 静かな ひとときを
自分でつくって あじわって
内なる光に 入っていこう。

スポンサーサイト

お悔やみコメントを頂きましてありがとうございます。
心からお礼申し上げますとともに、感謝しています。
やはり、前に頂いた分についてはおひとりづつにお返事書けそうにありませんが、ごめんなさい。
どうかご容赦お願いします。

10月17日、18日と家族と近い親戚で仮通夜
10月19日 お通夜
10月20日 告別式

親族と親しい人とで、無事みつこさんを、もう苦痛のない懐かしい人々の待っているあちらの世界へ送り届けて参りました。大島つむぎの着物を着せてもらい、薄化粧を施されて、お出かけするように旅立っていきました。


ずっと書き続けてきた、この日記、辛いことも、苦しいことも、赤裸々に書いてきました。最後のところで抜けてしまってはみつこさんの意思に反するようにも思えます。漏らさず書いていこうと思っていますのでよろしくお願いします。

今日は最後前日のことについて書きます。どの一瞬も自分の意思に反する生き方なんてないと思えば、みつこさんの最後の一日もみつこさんの意思だったのだろうか、みつこさんが選んだ一日だったのだろうかと、私は今も問い続けています。



16日未明は眠れていました。しかし、朝から急変していたそうです。私は午前中何をしていたかというと、、、家族葬の会場となるお寺を見せてもらっていたのです。何ということでしょうか。もしも危篤状態だとわかっていたら、そんなことができるはずはありません。でも、これは虫の知らせというものに違いありません。みつこさんの旅立ちが遠からずあることはわかっていて、その時には温かい送り出しがしたいと思っていたのです。

午後一番で施設へ訪ねると、訪看さんが来てくれているところでした。朝から足にチアノーゼが出ていて、四肢が冷たく、膝が赤紫になっていました。足先にはレンジで温める保温剤を入れてもらい、足を毛布でくるんでもらっていました。顔は黄疸が出ていました。体にも出ていたそうです。目を閉じていましたが、苦痛に耐えている風ではありましたが、苦しみ悶えているということではありませんでした。施設看護師さんからの連絡で訪看さんがきてくれていました。「体内で出血があるのではないか」ということで、病院に戻り、どなたかに往診を依頼することになりました。主治医の先生は土日学会出張だったのです。

しばらくすると、乳癌の手術を執刀して下さった、外科の先生が往診して下さいました。みつこさんの顔を覗き込んで、「意識がないわけじゃないんだよ、苦しさを訴えない人だから、我慢してみえるんだよ。モルヒネを使える?」と訪看さんにお尋ねになりました。機械を使った痛み止めは、介護士さんでは操作できないそうで、家族はできるのだそうです。「私が操作できるのなら、今夜泊まります。」と言ったのですが、あまりの急なことに、主治医不在の状態で、誰もそれに頷く人がいませんでした。結局、先生が静注で、ステロイドと痛み止めを入れて下さいました。その時も点滴を点すのが痛いと言って、みつこさんは手を引きました。かなり力はあり、危篤状態とは思えませんでした。

それが土曜日の午後で、日曜日から月曜日の朝までもつように、舌下タイプの痛み止めが処方され、それで対応することになりました。この時点では月曜日の様子をみて、入院対応にするかというふうに考えていたのだと思います。注射のあと、一旦は落ち着いた風で、眠ることができていました。先生がお帰りになった後、訪看さんが舌下タイプの痛み止めを持ってきて下さり、1回、口を開くのを待って舌下に入れてくれました。この時点ではまだ眠りこんで口を開くことがあったのです。

この夜は介護士さんが舌下タイプの痛み止めを時間を決めて入れることになり、私は夜泊まり込むことに決めて、よしおさんのこと、家のことを始末するため、夕方一旦家に帰りました。帰る前の状態はチアノーゼは膝の部分を除いては軽快しており、足も温めてもらって、冷感はなくなっていました。血圧は60に下がっていましたが、これは再度測り直してもらって、70~80には改善しました。

家に戻り、よしおさんの夕飯は用意したのですが、翌日の朝ご飯、薬などはどうしたのか、全く記憶がありません。恐らく抜きになったか、よしおさんがアイスクリームとか、ご飯にうにのビン詰とかで済ましたのかもしれません。私自身は菓子パンを持って、お風呂に入ってから施設へ向かいました。施設ではみつこさんと枕を並べて補助ベッドを用意してもらってありました。みつこさんの横には痰を取る機械が用意されていました。少量痰がからむようになっていました。

夜8時になると、その日の夜勤のユニットのチーフの女性介護士さんが部屋を訪ねてきてくれて、今夜12時と朝6時に舌下薬を入れることになっていること、吸痰、体位交換、オムツ交換に2時間おきににくることなどを説明してくれました。

みつこさんはというと、次第に息が荒く、速くなり、苦しそうにじっと目を閉じていました。口も力を入れて歯を食いしばるようになっていました。12時に、2人がかりで口をこじ開ける形で舌下薬を入れてくれました。痰も少量からんでいるようなので、とってもらいました。オムツを見てから体位を変えると、呻くように苦しがりました。片手は常にそけい部に置かれており、腹部で何かがあったことは確かです。みつこさんの顔をなでると、顔は冷たかった。私は「朝まで頑張ろうね、朝になったら看護師さんに来てもらおうね。」と励ましているしかありませんでした。(続)


今日のなんくるカード
----------------------------
めんそーれ

心を込めて めんそーれ
いつも笑顔で めんそーれ
ようこそ地球へ めんそーれ。


   *めんそーれ:いらっしゃい

2010年10月17日(日)午前8時

みつこさんの旅立ちをご報告致します。

みつこさんは私と施設看護師さんの見守る中
本日朝、天にかけ昇っていきました。

これまでの応援ありがとうございました。

今日は訪看さんの日、急いで10時に間に合うように出かけました。残念ながらよしおさんのお昼ご飯の準備はできず、ほったらかし。いつもは用意して、メモも置いていくのですが、何もせずに出かけてしまいました。食べたければ何か食べるでしょう。

みつこさんは眠っていましたが、今朝はちらちらと目を開いてくれましたが、心なしか苦しそうです。
どこか痛いのか、だるいのか、眉間に皺を寄せて、辛そうだなあと思いました。

開いている口の中を見ると舌が汚れています。歯もとても酷いことになっています。虫歯も進んでいるし、歯ぐきの状態も真っ赤で酷い。口の中は介護士さんも努力して下さっているのが生活記録からもわかるけど、難しいのはよくわかる。私も口の中をぬぐう専用の布でそっと汚れをとったり、乾燥を防ぐジェルを塗ったりするけど、歯周病から肺炎になりそうな感じでもある。

足元を見ると、浮腫みはそんなにないようだけど、両足の巻き爪が酷い。肉に食い込んで丸く肉を切ってしまいそうな勢いです。皮膚も赤く腫れています。これだけでもどんなにか痛んでいるだろうな。歩かないからいいのかしら。

先回の訪看さんにシャンプーして頂いたけれど、パジャマも下着もずっと前から(たぶん1週間以上)同じで少し臭うような気がする。訪看さんに着替えたいこと、体が辛そうなことなどを伝えると、じゃあ、今日は清拭と着替えと、それから体の対応をしようということになりました。

診察からは肺の雑音がありました。体温は正常、呼吸が速い、血圧は130台と高め(でもまあ大丈夫)、表情からはどこかが辛いのだろうね、ステロイドは中途半端に効いているのかもしれないけれど、まだ1回しか使ってないから、もう1回だけは静注してみるということになりました。点滴は浮腫みが出ている訳ではないので500ml。

施設看護師さんが清拭を始めてくれて、訪看さんも手伝ってくれましたが、途中体位変換すると声がでるほど痛がるので、痛み止めを今日から使おうということになりました。訪看さんが病院へとんぼ返りして、先生に相談し、薬を持ってきてくれることになりました。

痛み止めを待っている間に清拭をすすめ、私もやり方を覚えましたので、これからは手足は私が毎日してあげられます。足からはぼろぼろと垢がこぼれ落ちました。

ほどなく訪看さんが、先生の指示で静注用の痛み止めと明日から次回訪問までの間の座薬を持ってきて下さいました。大腸の腫瘍を心配していたのですが、先生が座薬が直接当たる部分じゃないから大丈夫とおっしゃるので、座薬になりました。飲み薬はもう飲むのは困難です。痛み止めと言っても癌の疼痛用の麻薬ではなくて、極普通の軽い痛み止め(ボルタレン)です。これを毎日1回継続です。

点滴が始まる頃には、やっとみつこさんが笑顔を見せてくれました。みんなが変わるがわる顔を覗き込んで心配していたのが通じたのかな。今日の点滴自体はすっきりと落ちて、3時間弱で終わりました。点滴が始まってからは、やっと眠れると言う感じでぐっすりと眠りに落ちて、ずっと眠り続けました。

点滴が終了して処置に来て下さった別の看護師さんは、みつこさんの眠っている顔を見て、今度は黄疸がでているような感じだとおっしゃっていました。そう言われればそうかもしれません。となると、ダルさも相当なものなのかもしれません。

痛み止めを継続的に使用するようになると、しだいに意識も混濁してくるのではないかと思われます。そういう状態になれば私のお役目は事実上終わりです。今が踏ん張りどき、みつこさんを痛みとだるさと、すべての辛さから引き離してあげたいと思います。みつこさんと訪看さんと先生との間に立ってそれを伝えられるのは私しかいないのだから。

フェルガードは事実上飲めなくなりました。口の中も汚いし肺炎の可能性は限りなく高いと思います。事実肺雑音も聞かれます。ですけど、それも良しと思います。今の状態ならば、最後がどういう形になるかということに過ぎませんから。


今日のなんくるカード
---------------------------
あとは ギャグだけ

さあ さあ 準備はオッケーだ
あとは ギャグだけ 考えて
人生 バラ色 極楽道。

みつこさんの体調が急降下を始めた先週くらいからは、帰る時にはこれが最後になるかもしれないんだと思っています。

ステロイドの静注をした日には目が開いている時間が多いように感じますが、その他の日にはただ静かに目を閉じ、何かに耐えているような時もあり、ひたすら深く眠っているような時もあります。

昨日は午後2時頃に出かけて行ったのですが、部屋に入って目に飛び込んできたのは、ベッドがギャッジアップしたままで頭が横にずり落ちた形でベッド柵にぶつかっているみつこさんでした。ベッド柵のところまで頭が届いていただけで激突しているわけではなさそうでしたが、あまりな姿に唖然としてしまいました。近くにいた介護士さんを呼んで、みつこさんの姿をみてもらった後に体制を直しました。みつこさんは深く眠っており、どこも苦痛はなさそうでしたので、大事に至ったわけではありません。まだその時には食事が済んだばかりで、上体を起こしておく為にベッドが立てたままだったと私は思い込んでいましたが・・・。

まだ、食事が済んだばかりなのでしょうか?」と、その介護士さんにお尋ねすると、「ちょっと待って下さい」と彼女は慌てて記録を見に行きました。戻ってきた彼女はすまなそうに、「11時です」と正直に答えてくれました。食事から3時間放置されていたのです。11時というと昼食の用意が始まる時間です。忙しさで忘れてしまったのでしょう。「うっかりしました」「忘れました」は許されない職種だと思うのですが・・その言葉を飲みこんで、ベッド柵にクッションをかうことだけはお願いしておきました。

その後しばらくは昏々と眠り続けるみつこさんでしたが、随分してから目を開き、私の顔を怪訝そうに見てくれました。そうなると、今度は眠くても必至で目を開いていようとします。目は常に私の方へ向けられています。

しばらくはみつこさんの視線にさらされ続けた私ですけれど、よしおさんがデイから帰る時間が近づくと、帰らないわけにはいきません。みつこさんに何度も、「明日また来るから、今日は帰るね」と言って、部屋を出ようとしたのですが、じっと出口の私を見ているみつこさんの視線から逃れることができません。とうとう、ふと目をつむった隙にみつこさんの視界から消えました。


今日は昨日より早めの12時半には施設についたのですが、施設を出た3時まで、一度も目を開いてくれることはありませんでした。それがみつこさんにとっては苦しくない方法ならば、それでいいよと思いながらも、この切なさは何なのでしょうか。


今日のなんくるカード
---------------------------
ひらめく きらめく

直感 大切 大事だよ
魂からの 直通電話
直感 信じて GO GO GO!

↓メールはこちらへお願いします  (*を@にかえて下さい)
pandora*r4.dion.ne.jp

↓管理人の別サイトです
HP「ふたりの介護」および
HP「シェリーとともに」は
終了しました
長い間有難うございました。

Bl「友わんこ&3にゃんこ&パンドラの徒然」

パンドラ

Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

↓セミナー情報はこちらをご覧ください。

「セミナー情報」

↓以前のセミナーでの報告原稿はこちらをご覧下さい。

「両親の改善報告」
「患者家族としての気持ちの変化」
2009.5~6 報告

ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします。

FC2Blog Ranking