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【ドクターコウノ認知症勉強会in名古屋】での報告(1/3)


平成21年6月27日(土)
ピック病と認知症専門クリニックの未来」と題する、河野先生のセミナーが名古屋で開かれました。

このセミナーの最後に、タイトルと同じピック病の患者を抱える家族として、
管理人パンドラは両親の「改善報告」をさせて頂く機会を頂きました。(主治医の先生の解説も頂きました)
そして、「改善報告」だけでなく、更に、両親を看てきてパンドラが今一番感じていること、皆さんにお伝えしたいことも述べさせて頂く事ができました。

  《改善報告》
  経過報告とCT画像の解説
  《改善の後の介護者である私の心の変化》

という流れでした。

こういう機会を与えて下さった河野先生と、快くご協力下さった岩田先生に感謝し、ここに全文を掲載させて頂きます。ひとりでも多くの方の目に触れ、何かのお役に立つことを願っています。
たいへん長くなりますので、の2回に分けて掲載させて頂きます。


尚、原文は「ドクターコウノ認知症勉強会in京都(2009年5月31日)」の為に用意した元原稿をもとに、kuririnさん他の皆さんで原稿を推敲して下さいました。それに、更に加筆訂正を加えたものです。

京都セミナーにおきましては、
はセミナーを企画された「薔薇と宝塚とキラキラが好き」の管理人kuririnさんのご報告。は河野先生が解説して下さいました。

名古屋セミナーにおきましては、
は患者家族パンドラの報告、は主治医の岩田先生が解説して下さいました。

パンドラは皆さまの前で報告するのは素人ですので、ドキドキでしたが、kuririnさんが優しくフォローして下さって、何とか想いが伝えられたように思いました。

では、
 改善報告
 改善して後の介護者である私の心の変化
を、2回に分けて掲載させて頂きます。

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 ≪ 改善報告 ≫

 私の両親は、2人同時期に認知症を発症しました。84歳になる母はピック病で現在は特別養護老人ホームに入所中、90歳の父はアルツハイマー型認知症なのですが自宅で一人暮らしをしています。2人は、認知症の適切な治療を受ける事が出来、今では大変落ち着いた生活を送っています。しかし、こうなるまでの道のりは大変なものでした。

 母は2000年に、夫婦喧嘩の後に「何もかも嫌になった」と泣き出すなど、今までになかった状態になり、かかりつけ医に相談したところ、うつ状態と診断され、大学病院の精神科を紹介されました。そしてそこでトレドミンを処方され、うつ症状は軽減して行きましたが、その後、物忘れがひどくなり、2005年にアルツハイマー型認知症と診断され、治療を受ける事になりました。

 アリセプト5㎎を処方されましたが、病状はどんどん進行しました。尿失禁が始まり、翌2006年には、自分が誰でなぜこの家にいるのかさえ、分からなくなりました。また、食べ物に異常に執着し、夜中に冷蔵庫の中の物を手当たり次第に食べたり、ジャムひと瓶丸ごと食べつくしたりしました。家事も、やる気はあってもメチャクチャで、ガス台にお椀をのせて火を点けたこともありました。

 今思えば、これらはピック病の症状そのものだったのですが、当時はそれに気がつかず、漫然とアリセプトだけを服用し続け、翌2007年に、母は胃潰瘍で大量に吐血し、緊急入院しました。そして、この入院をきっかけに、一挙に陽性症状が現れました。

 「帰る」と大声で叫んではベッドから降りようとする、それを制止すると殴る蹴る噛みつく、点滴を引き千切り、病院内の徘徊も始まりました。退院後、アリセプトを再開し、加えて抑制系のお薬も処方されましたが、興奮したまま泥酔したような状態に陥ってしまいました。
 認知症の進行に伴い、周辺症状も激しさを増す中で、母は身体的にもトラブルに見舞われ続けました。胃潰瘍が治れば誤嚥性肺炎を起こし、それが治れば帯状疱疹と、私も母も、息つく暇さえありませんでした。

 かかりつけ医から帯状疱疹の治療継続を断られ困り果てていた時、ケアマネさんを通して往診をお願いしたのが、現在、河野先生の認知症治療マニュアル「コウノメソッド」の実践医第一号としてご活躍の岩田先生でした。先生の診察で、母はアルツハイマー型ではなくピック病で、アリセプトの副作用で異常興奮しているのだと初めて分かりました。この時点でアリセプトは休止しました。

 そして私は、遅ればせながら、インターネットで河野先生のブログを丹念に読むようになり、そこで取り上げられていたフェルガードの効果を知って、「もうこれしかない」と思いました。

 そこで岩田先生と相談しながら抑制系の薬と併せてフェルガードを使う事にしました。最初はNEWフェルガードを一日2本から始めました。直に母の言葉がハッキリして来ましたが、逆に妙にハイな感じも受けました。その後フェルガード100M2本に切り替え、しばらくして月1本づつ増量し、10ヵ月ほどのうちに5本まで増量し、以後5本を保っています。

 フェルガード開始から7~8ヶ月かかりましたが、母の改善は顕著でした。その経過は、意志の疎通はあまりできないものの、徐々に穏やかさが増し、満面の笑顔まで出る様になりました。
笑顔
 フェルガードと反比例するように抑制系の薬は徐々に減らし、やがて全て必要なくなり、現在も一切使っていません。入所している施設でも、問題行動は全て消え、スタッフからは、「ちゃん」づけで呼ばれて可愛がられています。


 一方、父の場合は、物忘れ以外に目立った症状は無かったのですが、2004年の暮れに私の夫が現金や通帳を盗んだ、私も夫にそそのかされて盗んだなどと口にする様になり、被害妄想、物盗られ妄想が強く、興奮して、私の首を絞めるほど、攻撃的になっていました。

 しかし、母が診察を受けてから3ヶ月後、父も岩田先生の診察を受ける事ができ、アルツハイマー型認知症と診断されました。父の場合はアリセプト、グラマリールと合わせてフェルガード100を一日2本から始めましたが、4ヶ月ほどで妄想が治まり、全く別人のように穏やかに明るくなりました。
 攻撃的な父が、母の介護の邪魔をして困っていたのですが、おとなしくて明るい普通のおじいさんになってくれたのです。現在は、フェルガード100Mハーフタイプを一日3本にして、とても落ち着いており、母の面会にも行けるようになりました

施設にて


ここまでが改善報告で、この後に岩田先生から、 「経過報告とCT画像の説明」がありました。

  両親が落ち着いて後の介護者である私の心の変化

 今年84歳になる重度ピック病の母と、今年90歳になる攻撃的アルツハイマー型の父を、私はひとりで同時介護していました。2006年・2007年の2年間がピークで、当時母は間違った治療を受けており、父は治療を受けていませんでした。

 今思えば、陽性症状の強いふたりを同時にひとりで看ているのは異常事態で、当時の私は、身も心も崩壊寸前でした。母が認知症の陽性症状から、身体的病気の治療が困難になった時、コウノメソッド実践医第1号のドクターイワタこと岩田先生に巡り合い、この時点で初めて母の誤診を指摘頂き、適切な医療へとつないで頂くことができました。

 この時の私の気持ちは、母に対しての済まなさで一杯でしたが、同時に、奈落の底までとことん落ちて、やっと底に足が着き、後は浮かび上がるだけだという安堵感もありました。


 事態の好転は、後から治療を開始した父の方が、先に感じられました。
フェルガード開始から4ヵ月ほどした頃、父は、動悸を主訴とする体調不良から本人の希望で強引に入院させてもらいました。本人は心筋梗塞で入院し、治療を受けて退院したと思い込んでいるのですが、実際はアリセプトの副作用が動悸という形で現われていたのだと後でわかりました。

 本人は病気が治ったと思ったからなのか、退院後、事態は突然、すっかり好転しました。具体的に申しますと、それまでは泥棒と火事を心配して、家から一歩も出られない、引きこもり状態だったのが、、、

退院後は、

 ・初めてデイサービスへ出かける。
 ・半年前に施設へ入所した母に、初めて面会に行く。
 ・母の施設でのショートステイを抵抗せず受入れ、泊りがけで母に会いに行く。
ショートステイ

などと、びっくりすることの連続。加えて、

 ・絶対に手放さなかった貴重品類も、私に任せてくれる。

と言うように、信じられないことが次々起こりました。

 父はグラマリールでは鬱っぽくなり、アリセプトでは1mgでも興奮する薬剤過敏なところがあり、退院後はフェルガード100しか飲んでいません。
私は、この好転を、フェルガードが効いたとしか考えられませんでした。



 鬼の形相で私の首を絞めていた父が、今年の90歳の誕生日には「あんたも長生きして90歳までも100歳までも生きなさいよ。」と言ってくれました。
 もしも、適切な医療にもフェルガードにも巡り合わず、鬼のままで逝ってしまっていたとしたら、私に残る父のイメージは随分違ったものになっただろうと思います。



 一方、重度ピック病の母ですが。 
先に治療を始めた母は、病状が重いことと、始めにNEWフェルガードを使って時間をロスしたこともあって、目に見えた改善はなかなか感じられませんでした。しかし、じわじわと落ち着きが見え、フェルガード100を4本に増やした、7カ月目あたりから改善を顕著に感じました。

 フェルガードを始めてちょうど1年目に乳がんが見つかり、手術しました。
発見してくれたのは施設の介護士さんで、着替えを手伝ってくれていて、しこりが手に触れたそうです。その頃母は、笑顔も一杯で、攻撃的なところは少しも感じられませんでした。意思の疎通は難しく、何もかも忘れてしまったけれど、穏やかな母が戻っていました。ですから、手術・入院共に、ごく普通の患者さんと同様に過ごせ、とても助かりました。

 こうしたことは、適切な認知症治療に出会う前の母には考えられないことで、認知症の治療ができたからこそ「命拾い」をしたと思い、以前に間違った治療を受けさせてしまった罪滅ぼしが、少しでも出来たような気が致しました。



 母の場合も、もしもあの興奮状態のままで、どこかの精神科に入院し、幽閉されて、そこで一生を終えたとしたら・・・私の心に鉛のように重いものがいつまでも残ったことだと思います。

 両親とも大幅な改善を見ることができ、そのことで私は両親が、認知症であっても優しさとか、明るさ、感謝の気持ちと言った、健全な人間らしい心を決して無くしていないことを再認識することが出来、それは何にも替え難いと思っています。


 認知症の両親の介護を通し、患者家族として切に感じるのは、諦めるのは最後の最後で良いということ、適切な治療法を見つければ、必ず現状より良くなる日が来るということです。

 高齢者と関わりがお有りの医師の皆様には、ご専門の診療科に関係なく認知症について勉強して頂きたいですし、そして、私自身の体験から、その患者がご自身の手に余ると思われたら、患者をそのまま抱え込まず、即、認知症を診ることができる医師に繋いでいただきたいと思います。

 私の両親介護はまだまだ続きますが、穏やかな両親を見守れるのは、認知症改善の為の情報を発信し続けて下さった河野和彦先生と、コウノメソッドを実践され両親の認知症に諦めず向き合って下さった岩田先生のお蔭だと思い、心から感謝しています。
 
 認知症は、改善しうる病気であること、介護と同時に『適切な医療』が是非共必要であるという事が、当たり前の事として、広く認められるようになれば、未来は明るいと思っています。                    



(注)赤字部分および青字部分はパンドラの想いを訴えている部分です。
   黒字部分は事実の説明になります。
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pandora*r4.dion.ne.jp

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Bl「友わんこ&3にゃんこ&パンドラの徒然」

パンドラ

Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

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「セミナー情報」

↓以前のセミナーでの報告原稿はこちらをご覧下さい。

「両親の改善報告」
「患者家族としての気持ちの変化」
2009.5~6 報告

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