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2007年9月のことです。

入所の打診があり、実質的には入所が決まってから、実際に入所するまでの最後の1ヶ月間のことです。
いろいろな手続きで1ヶ月かかったということです。
以下がそれらの手続きです。


◆施設見学と簡単な事務的説明と質疑応答
◆入所予定の部屋の見学と入所に際して必要書類の説明
◆施設側から、自宅へ出向いてくれての本人との面接
◆書類作成:健康診断書、医療情報提供書、市役所への申請等

その他の準備
◆家具類、衣類、タオルなど身の回り品の準備と搬入


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◆施設見学と簡単な事務的説明と質疑応答
申し込み時にも施設見学は受けていますが、今回は更に入所前提の目でユニット部分を詳しく見せて頂きました。
部屋はその時点で空いている部屋の中を見せて頂きました。
全室個室で、部屋の向き、窓の数、部屋から直接外へ出られるベランダ側の扉などが各部屋毎で微妙に違います。

また、階段、非常口なども質問しながら、見せて頂き説明をして頂きました。

この後、こちらの入所希望を伝え、前向きに話を進めることとなります。
こちらからは、最後まで、決定とはならず、どの段階で取り下げる事も可能です。
先方からは、健康診断書と面接で問題がなければ、決定となります。
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◆入所予定の部屋の見学と入所に際して必要書類の説明
みつこさんの実際の入所予定の部屋を見せて頂きました。
一番南東角の部屋でした。東に出窓、南に掃き出し窓で、そこからは牧場へ歩いて行けます。
ただし、通路先にセンサーが設置されています。
みつこさんは純粋の徘徊はありませんでしたが、ショートステイ中に一度だけ鍵を開け、非常階段を伝って、道路まで出ていたことがあります。
トイレを探してあちこち行ってしまうことはしょっちゅうあります。
ただ、常に腰痛、脚痛のあるみつこさんは、そんなに速くは歩けませんので、この戸外に出れる窓はあまり気にしませんでした。

トイレは部屋の正面にありましたが、入り口が正面ではなくて、視界から外れますので、恐らくわからないでしょう。
当時のみつこさんは、新しいところは決して覚えられない状態でしたので、トイレの場所も、部屋のまどりも、自分の部屋もたぶん覚えられないだろうと思いました。
だから、どの部屋でも同じだろうと思いましたので、少しでも日当たりが良く、居心地が良さそうであれば、家に似ているということも必要ないだろうと思いました。

ということで、このお部屋で結構ですとお返事致しました。
南東角なので、明るさと日当たりは一番良いと思います。
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◆施設側から、自宅へ出向いてくれての本人との面接

こちらからの入所の承諾を受けて、本人の面接を兼ねて、在宅の状況を見に来てくださいました。
来て下さったのは、生活相談員さん、介護士さん(ユニットの責任者)、看護師さん1名でした。
当日は、みつこさんは自宅にいる日でしたが、午後2時だったと思いますが、眠りこけていました。
揺すって、反応はありましたが、目をあけてはくれませんでした。

その後、私の家の方へ来て頂いて、こちらからも質問させて頂きましたが、主に看護師さんからは現在の体の状態を、介護士さんからは家での介護の状態を聞かれました。

みつこさんにどのように対応して下さるのかを、相談して下さるそうでした。
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◆書類作成:健康診断書、医療情報提供書の申請、市役所への申請等
一番最初に準備をはじめたのが、健康診断書の作成でした。
半年以内の情報であれば、それで通用するものでしたが、感染症などの検査は受けていませんでしたので、どうしても健康診断を受け直さざるを得ませんでした。

健康診断を受ける事自体がすでに難関でした。
  ◆病院まで予約の時間に行けるか。
    ・説得して、連れて行くことができました。
    ・レントゲン撮影、感染症の検査で、のど粘膜の採取ができず、1,2、の3で鼻粘膜か     ら採りました。
  ◆検尿はどうするか。
    ・採尿は無理でしたから、2日程前から、パッドに尿漏れがあると冷蔵庫保存して、新     しいものが採取できるごとに入れ替えて用意して置きました。

と、何とか無事健康診断が受けることができ、結果も問題ありませんでした。

その他の書類については、時間がかかったのは、医療情報提供書ですが、時間が必要なことを除けば問題はありませんでした。
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◆家具類、衣類、タオルなど身の回り品の準備と搬入
入所当日までの2日間を使って、自宅の車で搬入しました。
収納家具などは事前にお店を見て回って用意して、私の自宅に保管していました。
洋服類、下着類などの名前付けはかなり時間がかかりました。
そういった準備はみつこさんにわからないように、デイに行っている間に進めました。

◆よしおさんの説得
「家で、あんたに看てもらいたい。」と言うのが最初に話した時の言葉でした。
「家で、私ひとりでは、看る事はできない。ヘルパーさんに目一杯、入ってもらっても良いのでなければ無理です。」と説得して、
「じゃあ、おかあちゃんを説得して頂戴。」と言う返事をもらいました。

しかし、よしおさんも認知症で、すぐに忘れてしまいます。
荷物を入れている時には、
「おかあちゃんは知っているのか?」とか、「行きたくないのじゃないか?」とか、
私が鬼になったような、辛い時期でした。

◆入所当日
その日、出かけられるか?
それが、最後の難関でした。
健康診断はじめ、ひとつづつクリアしてきて、その日を迎えました。

いつも「行きたくないね」が合言葉みたいになっていたみつこさんを、
私は万感の想いを笑顔に隠して、「今日は出かけましょう!!」と、毅然として、呼びかけました。

その気迫に押されて、みつこさんは出かける用意をしてくれて、寝ているよしおさんに「行ってきます。」と言いに行きました。
そんなことは、普段はありません。きっと何かを感じたのだと思います。

よしおさんも起きてきて、玄関まで見送りに来ました。
「私、帰ってくるから・・」とみつこさんが言って、
「いってらっしゃい。元気で・・」とよしおさんが言いました。
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あの日のことは忘れません(完)

2007年10月1日の日記
  
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2007年8月になりました。

◆8月には、特養Nから最初の判定会議の結果、上位10位以内のAランク判定が出たとの報告がありました。
◆また、それに続き、8月末に実際の入所の打診がありました。
◆それを受けて、実際にみつこさんが、入所できるか?やっていけるか?
◆主たる介護者である私は、ほんとうにそれでいいのか?
◆よしおさんを説得できるか?という問題も出てきました。


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◆8月には、申し込みしてある特養すべて、最初の判定会議が行われる予定です。
その、最初の判定会議の結果を書面で知らせてくれたのが、現在入所している、同市内の特養Nでした。
他の特養は、問い合わせれば教えてもらえたと思いますが、先方からの連絡はありませんでした。

特養Nからの判定会議の結果報告には

「判定会議の結果、待機10名以内のAランクになりました。」と記されていました。

Aランクに入るということは、半分くらいは予想してもいました。
実際には10名中の何位かもわからないし、「そんなに何年もは待たなくていいのだな」くらいの感想でした。

◆ところが、それから何日もしない8月の末に、特養Nの生活指導員さんからお電話があり、入所の打診がありました。
10名中、かなり上位にあったこと、空きができたこと、入所の打診があっても、「今回は保留」とされる方もあることがわかりました。

◆1年以内には入りたいと思っていた特養ですが、それも第一希望の特養ですが、心の準備がすぐにはできず、いざとなると、気持がぐらついてしまいました。
特養Nの生活指導員さんも「即答して頂かなくても良いので、お部屋を見に来たりして、よくお考え下さい。」と言って下さいました。

もしここで、今回は保留のお返事をしても、最下位になるわけではありません。
しかし、次回11月の判定会議の時に、更に重要度の高い申し込み者が現われていると、その方より後になり、結果としては、伸び伸びになっていく可能性は高いです。

GHに入所した時は、みつこさんの混乱状態に対処方法もわからず、兎に角どこかに置いてもらわなくてはという気持が一杯でしたから、入所することに何の躊躇いもなかったのですが、今回は、これがみつこさんの最後の住まい(仮住まいではあっても)になるのだろうと言うセンチな気持があり、私には大変な戸惑いがあり、感慨深いものがありました。

◆また、新たな問題として、よしおさんの説得ということが残っていました。
よしおさんも私同様、GHの時には病院からの流れがありましたから、何も言う事はありませんでしたが、今回は6月から3ヶ月間在宅でやってきて、どんなにたいへんなことが起きても、よしおさんにはたいへんさを理解できていませんでしたので、在宅でやっていけると思っていました。

もちろん、施設入所のことは折々話していましたが、それこそ、もっと先で、どうにもならなくなれば・・・というふうにしか思っていませんので、心の痛む、でも最重要の問題でした。


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8月に入ってからのみつこさんは、この年3度目の病気をしました。

8月の初めに1泊、ショートステイで泊まりの練習をしていました。
この、ショート滞在中から、足が痛い、背中が痛いと言っていたそうです。
帰りの車の中でも「痛い、痛い」と言い続けていました。

足が痛いのは、持病なので、悪化しているのかなと思った程度で、さほど気にとめていなかったのですが、痛みはどんどん強くなり、でも、病院へ行くのは拒否していました。
それと平行して、パンツ交換の時に、背中に湿疹みたいなものができているのにも気付いていました。
痛いと言っている足のところにもぷつぷつがありました。
悲しい事に、痛みと、ぷつぷつが結びついていませんでした。

土、日をはさんで、往診も頼めず、なすすべもなく過ぎて、痛みで食事も進まないまま、月曜日には夫のおんぶで、それこそ無理やり病院へ運びました。
以前の胃潰瘍の事があり、痛み止めも絶対に使わないと我慢させてしまいました。
背中の痛み、足の痛みを訴えていたので、とにかくレントゲンを撮ろうかと言う時に、何気なく背中に湿疹もあるのですが・・・と診て頂いて、すべてが解決しました。

帯状疱疹だったのです。痛いはずでした。
年初めからの病気の連続、施設入所のストレスなどを溜めていたのでしょう。

さて、診断はつきましたが、治療は飲み薬と点滴になります。その日はクリニックで点滴をどうにか終えましたが、通院は先生も考えた末、断られてしまいました。
点滴を引き抜こうとしたり、大声を出したり、、、他の患者さんたちへの迷惑ということでしょう。

在宅で薬だけの治療になりましたが、痛みから、食欲が落ち、ほとんど食べなくなり、薬を飲ませるのもひと苦労でした。
痛み止めの座薬挿入も抵抗が強く、殴ったり、けったり、噛みついたり、痛み止めだと説明してもわかってもらえません。
夕食の介助はヘルパーさんにお願いしていましたが、ヘルパーさんのいらっしゃる時間中に食事が済まないようになっていきました。

そんなことが続いた3~4日後、夏でしたし、どう見ても、脱水状態と考えられて、もう、入院治療しか無理ではないかと思いました。
入院できる病院へ運びたかったのですが、その時点では運ぶことは到底無理で、止むを得ず救急車を要請しました。

通院中の大学病院で、診察はするという返事をもらい、救急車で搬送してもらいました。
脱水状態になっており、点滴は受ける事が出来ました。
しかし、ここでも、認知症で意思疎通ができず、暴力的になることで、入院受け入れを拒否されました。
精神科への入院も万床で拒否されました。
実際、認知症でなければ、内科へは入院する必要がない状態なのですから、無理ないかもしれません。
替わりに、翌日訪ねるようにと、所謂老人病院への紹介状を持たされました。

その日、家に帰るのには自宅の車を使って帰りましたが、翌日家から紹介された病院へ運ぶことなど、どうやってしたらいいのか検討もつきませんでした。
救急隊員は暴れるみつこさんを「とにかく、押さえつけてでも、担架で運んで下さい」とお願いして運んで下さいましたが、家族だけで家から連れ出す事は不可能でした。
更に、そんなところはよしおさんには見せられません。

翌日になり、途方にくれているところへ、ケアマネさんから助け船が入りました。

紹介された老人病院なら入院治療をしてくれるけど、「そこへ入ることがみつこさんにとってどうだろうか?」と待ったをかけて下さいました。
そして、運命的な出会いと言っても過言ではない、「24時間在宅支援往診医」の現在のI先生に話をして下さって、その日往診して頂ける手筈を整えて下さいました。

当時、I先生は某病院の認知症外来を午前中こなし、午後は往診専門でした。主に在宅で過している老人の訪問診療と在宅看取り、ターミナルケアでした。
その日の午後、ケアマネさんも、ともに訪問下さって、みつこさんの在宅での治療のプログラムを立てて下さいました。

自宅での点滴が4日間始まり、初日は先生が点滴挿入、抜き取りまで居て下さいました。
翌日からは、訪問看護の手筈も整えていただき、看護師さんが点滴挿入、つきそいは家族で、私が抜き取ることになりました。

点滴となると、おお暴れの前科者のみつこさんです。私がついていて、途中で抜き取って外れてもどうするの?と不安が一杯でしたが、足に点滴をすることで、むしり取る事もなく、無事出来ました。

ヘルパーさんにも、点滴の終半には同席してもらえるようにシフトを組み、無事4日間は終りました。

急性期は無事、切り抜けることができ、一旦は訪問看護も週1に落ち着きましたが、食欲はなかなかもどらず、更に、帯状疱疹の痕に緑膿菌がついてじくじくの床ずれ状態になったり、落ち着くまでには3週間ほどかかりました。
帯状疱疹後のケアが必要な時には(洗浄と軟膏ぬり)、訪問看護を3日程連続しました。
その他は、訪問看護は週1来て頂きました。訪問診療も最初は週1、そのごは2週に1度でした。
訪問看護、週1の時は、介護保険で、毎日の間は医療保険を使っていました。

大学病院精神科への通院は不可能になり、訪問診療I先生に認知症の方も診ていただくことに自然な成り行きでになりました。

診察初日に、痛みがあるからとはいえ暴言を吐き暴れ回るみつこさんに対して、最初に先生がおっしゃったことは、「このままでは、家族の介護がたいへん。帯状疱疹の治療と平行して、まずは落ち着いてもらわないと・・・。」ということでした。
これまでの大学病院での投薬に少なからずびっくりされました。
アリセプト5mlと抑肝散とセロクエルという処方を続けていましたが、アリセプトの攻撃性を無視し、抑制系のセロクエルをびっくりするような量で処方されていました。
相反するものを多量に飲んでいた訳です。
まずは、アリセプトを切り、抑肝散とグラマリールの処方になりました。これではあまり効果がなく、直にセロクエルを極少量から始めることになりました。これで、しだいに落ち着いていきました。
この頃、「断言はできないけど、ピック病ではないかと思っています。」と言われていました。

精神的に落ち着いて来たと言っても、私は、軟膏塗り、投薬、トイレ介助、食事介助と息つく暇もなく、お風呂にも入れてあげることができないままの状態でした。
すんなりやらせてくれればまだしも、着替え、パンツ交換、トイレ介助などは、抵抗が強く、連日大騒動をしていました。

訪問看護さんのアドバイスで、3週間ほどしてから、「無理やりにでもデイに行って、そちらでお昼の間だけでも面倒を看てもらうようにしないと家族がもちませんよ。」と言われ、デイを再開しました。
行きつけのデイSでも、ブランクの後は嫌がりましたが、主任さんがベッドサイドまで来て声をかけて下さると起き上がって出かけていけるようになりました。
最初は主任さんにおんぶ対応して頂いていました。

そんなふうに、何とかデイを再開できてしばらくした頃に、特養からの入所の打診があったわけです。(続)

【2007年7月のこと】

この頃が、在宅で過した最後の穏やかな日々でした。


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7月の始めに4ヶ所目の特養の申し込みを済ませて、あとは入所の案内を待つだけとなりました。

希望としては、4ヶ所の中で、現在住んでいる市内にある特養が、第一希望でした。
市内ということは、何かにつけ便利ですし、入所の判定でも確か、考慮されるようです。
他の3ヶ所が、新しいものばかりで、きれいなマンション風であるのに対して、第一希望の特養は、木造の木の香りの漂う、市民参加で検討して作られた建物で、築数年になるものでした。
この特養に実際に入所している人、建築に関わった人のお話も聞くことができたことで、親近感も感じていました。
しかし、4ヶ所の中なら、どこから入所の案内が来ても、最初のところへ決めるつもりではいました。

また、近くの建築中の新規特養の工事現場も見に行きました。
こちらは、場所がわかっただけで、イメージをつかむことはできませんでした。

さらに、待機者の中で、上位に位置するためには、介護度の区分変更をする必要がありました。
みつこさんは2007年の2月に介護度3の認定が出たばかりでしたが、特養に入所するためには、3では新設で無い限り無理と聞いていましたので、早速区分変更の申請をしました。

認定は直におりて、介護度4になり、4ヶ所の施設に変更届の提出をしました。


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みつこさん自身は、特養への準備として、
  ・ヘルパーさんの介助を受け入れる事、
  ・ショートステイを利用すること、
  ・できるだけデイに通うこと
  などを目標に生活していました。

6月に家に戻って、数日して落ち着いてきてから、7月一杯までが、在宅で過した、最後の穏やかな日々になりました。

この月、デイでのお泊りを1回経験しました。
いつも行っていたデイサービスで、1日にひとりだけ、所長さんがつきっきりでみて下さいます。
ただし、介護ではなく、実費になりますが、これも練習と思い、お願いしました。

この日は、デイに出かけたまま、ひとりだけ残って、そのまま1泊、翌日またデイに参加して夕方帰宅という予定でした。
どの段階で不穏になっても、その時点で送って頂くという予定でお願いしました。

お昼の間は順調で、夕方、他の方たちが帰る時にも帰宅願望もなく過せましたが、夜だけが、眠れなく、眠ってもすぐ起きる、の繰り返しで、本格的に眠りについたのが明け方だったようです。


当時飲んでいた薬は、アリセプト5ml、セロクエル、抑肝散でした。
これがよく合っていて、不穏になることもなく、落ち着いた毎日でした。

【問題はふたつ】
・ひとつは排便がスムースにいかないこと。
・ひとつは自分の居場所がわからないで、どこかに(慣れたデイでも)出かけるのを、とても嫌がるようになったことです。

出かけられない理由に、排便の問題が絡んでいることもありました。
朝など、排便したい気持があるけれど、それを伝えることもできないし、なかなかすっきり出ないと、そのことに囚われてしまって、デイへ出かけられなくなりました。

排便の問題はそれだけではなく、パッドに漏れた時に、恥ずかしい、隠したい、洗いたいという気持が発生して、思わぬところに汚物があったり、素手で汚れた箇所を掃除したりするようになりました。
気持は分かるけど、こちらとしては困ってしまう状態が発生するようになりました。

今、施設にいて、排便の問題行動がある場合には、ふたり体制で介助してもらっています。
それを思うと、通い介護で、ひとり介護で、介助できるわけがなかったと思います。

出かけられない時に、よしおさんがさらにそれをややこしくすることもありました。
始めの頃は「嫌がるものを行かせるな。」と、言っていましたが、それもやがて、お迎えの方にお任せするようになってくれて、デイの主任さんに説得してもらうようになりました。

出かけるのを嫌がるだけでなく、一端出かけてしまうと、今度は帰るのを嫌がるようになりました。
今、居る所が、みつこさんの居場所となり、居場所を転転とすることが、居心地が悪くて仕方がなかったのではないでしょうか。
デイから送られてきて、車から降りてくれなくて、仕方なく、最後の人が済むまで乗せてもらっていたこともあります。



【良かったことは】
ヘルパーさんに家事を手伝ってもらうこと、身体介助をしてもらうこと、どちらも抵抗がありましたが、どちらも慣れていったことです。
みなさんが努力して頂いた結果でもありますが、本人も次第に受け入れていきました。

この頃の【みつこさん語録】

お泊りから帰って来て : 「ここは私がずっと住んでいる家だよね」

何も記憶に残らなくて、一体自分は何者?どこから来たの?今どこに居るの?・・そんな不安と闘い続けているように見えました。

でも、この頃は、このくらいの状態なら、あと1年くらい、何とかやっていける・・と考えていました(続)

【2007年6月のこと】

2007年5月一杯で、GHを引き上げる決心をしましたが、ずっと在宅でやっていくことは無理だということはわかっていました。

在宅でやっていくためには、次の条件がクリアできない限りはいつか破綻してしまうと考えていました。
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①よしおさん、みつこさん夫婦と猫3匹と介護者家族(パンドラと夫と犬)が同居すること。
②主たる介護者であるパンドラを助けてくれる人が少なくとももうひとりは存在すること(たまに替わってくれる人)。
夫は足回りとか、病院への介助とかで手助けをしてくれていますが、身体介助を助けてもらえる人がもうひとりは必要です。
ヘルパーさんの入ってもらい方を検討すれば、それでも可能かもしれないと今は思います。
③家の中の改造ができること。同居するためにも、みつこさんの安全の為にも必要です。

①②③をクリアすることは、よしおさんが居る限り無理でした。
特に①③に、よしおさんの理解がどうしても得られません。
よしおさんは、パンドラひとりが同居して、みつこさんを介護して欲しいと望んでいました。そこまで深くは考えてもいないと思いますが、パンドラひとりで通いで、できると思っていたのかもしれません。
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よしおさんにも、みつこさんにも可哀想だとは思いましたが、私が主たる介護者である以上、私ができなければ、残念だけど、できない。
それを譲ることはできませんでした。
心情的に譲ったとしても(譲りたい気持は溢れていましたが)、破綻することが目に見えています。
もし、そうなったら、もっともっと悲劇です。

そういう理由で、有料老人ホーム、あるいは特別養護老人ホームで、納得のいくところを早急に探すことにしました。
その当時、私が持ち堪えられる限度は1年くらいではないかと考えて、あくまで特養で、どうしても入所が困難ならば、有料老人ホームで探そうと考えていました。

6月1日から、みつこさんの(両親ふたりの)生活をみながら、合い間に特養探しが始まりました。
家からなるべく近い範囲で、まずは電話予約し、地図で場所を確認し、面接をして、中を見学させてもらいました。
手筈は夫が揃えてくれて、地図も確認、運転手も勝手出てくれて、とても助かりました。
プライバシーの問題から、居室は見せてもらえないところもありましたが、共有の場所などは案内してもらうことが出来ました。

少ない経験からも、認知症専門棟を設けていない、ユニット形式の個室が良いと思っていましたが、果たしてそれがほんとうにみつこさんに良いのかどうかは、わからないままでした。
見学は、ユニット形式に拘らず、従来型の特養の認知症専門棟も、させてもらいました。

1軒、2軒と見ていくうちに、大体どういうところが良いのかは固まっていきました。
トータル10軒くらいの特養と、有料老人ホームも1軒飛び入りでちらっと見せて頂いて、パンフレットだけもらってきました。

特養見学と平行して、有料老人ホーム紹介サイトからも近辺のホームのパンフレットを送ってもらいました。

特養の待機人数は100名から300名くらいでしたが、緊急度、必要度から優先ということで、待機人数はあまり心配しなくても良いと思えましたが、空きがない限り入所できないので、1年に何名も入所は出来ない訳ですから、どのくらい待てば入所できるのかは想像がつきませんでした。

良さそうと思えたところを4軒絞りました。
それに加え、新設特養の予定が近いところでは、2007年4月と2008年9月にありました。
新設ですと、一気に全部を埋めるわけですから、かなりの人数ですし、介護度も4,5に限らず、幅広くとってもらえるそうです。
最終的にはこの2軒の新設の特養のどちらかには入れてもらいたい。
それもダメならば、それ以上は待たないで、有料老人ホームで探そうと考えました。

見学させてもらうのと平行して、良さそうと感じたところから、順番に申し込みもして行きました。
最終的には4軒のユニットタイプ特養に申し込みをしました。

特養を申し込むにあたっては、
特養に早く入居するコツ-「ふたりの父の雑記帳」さんから
をたいへん、参考にさせて頂きました。


大体、どの特養も申し込みの書式は決まっています。
その中の、「困っていること」と言う欄が、ほんの数cmくらいの欄なのですが、
これを別紙の形でA41枚にびっしり、箇条書きのレポートを作成して、切々と窮状を訴えました。

これを書いたことが、特養に結果として非常に早く入居できた理由だと確信しています。

どの特養も大体2ヶ月に1回の判定会議があり、待機者の順位の見直し、新しい申し込み者の順位づけが行われます。5月に判定会議が済んだばかりのところがほとんどで、次回は8月に行われるところばかりでしたので、遅くとも7月までにここぞと思うところへ申し込みをしました。

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6月から家に戻ってきたみつこさんの生活は、3月の入院前の状態とさほど変わらないくらいに戻ることができました。
やはり、家だと落ち着くということでしょう。

ただ、以前と違ってきたのは、排便の問題でした。
そして、それが、在宅でやっていく上での一番大きなネックになりました。

よしおさんとみつこさんのふたりの生活を通い介護で最長1年は支えていく覚悟で、ふたりの生活をケアマネさんと相談しながら、決めていきました。

よしおさんはどこにも出かけないけれど、自分のことだけは自力でできていましたので、特に問題はありません。
ただし、みつこさんのことをみてもらうことは無理でした。でも、介助しようという気持だけはあり、みつこさんがトイレを探してうろうろしていると、気がついた時には誘導してくれようとしていたり、私を呼んだりしてくれました。

みつこさんは、まずは、日中だけでもできるだけ外で介助を受けて欲しかったので、デイサービスへ3日から4日/週、出かけてもらうようにしました。

みつこさんのデイの無い日に、よしおさんの通院、みつこさんの通院、鍼治療、を入れました。
夕食準備から、片付けまでは、ヘルパーさんをお願いしました。
毎日1時間で、その間のみつこさんのトイレ介助も、できるだけお願いするようにしました。
少しでも、みつこさんに他人による介助を受けて欲しかったからです。
始めの頃は、私もヘルパーさんと一緒についているようにしましたが、だんだんにお互いに慣れて、ヘルパーさんだけでお願いできるようになっていき、助かりました。

トイレ介助は、なかなか受け入れてもらえず、苦労しました。
自分できちんとできればいいのですが、できないけれど、できていない意識はないので、「どうしてトイレについてくるのか、、」と、私も、ヘルパーさんも、みつこさんからずいぶん怒られました。

排便についてはふたつの問題がありました。
ひとつは、排便のリズムが整わなかったこと。
それは、座薬の使用、滴下薬の使用、カマと試行錯誤しながら、この頃から、カマの服薬だけで、様子をみるようになりました。

もうひとつの問題は、排便自体がきちんとできないこと。
便秘気味の頃は、自分の手を使っての摘便が始まってしまいました。
カマを使うようになり、それは治まってきましたが、手を汚すのは毎回のことですし、その手であちこち触って汚す、身体も汚れる、、、だけど、介助は拒む、パニックになる。。。
排便の度に、本人の身体を清潔に保つことができなくなっていって、それが最大の問題になりました。

でも、まだ、この頃は序の口という感じでした。

6月末に一度、特養付属のショートステイに1泊をしました。
特養入所の練習の意味です。
私も別室に内緒で泊まって様子をみましたが、大きな問題はありませんでした。

お風呂はデイで介助してもらいました。
この頃は、まだ、デイに出かけることも、デイでの入浴も、まあまあ大丈夫でしたが、次第に、出かける事を嫌がるようになり、出かけてしまうと、逆に帰るのを嫌がるようになっていきました。
今の状態から、変わることを嫌がるようになっていきました。
あっちこっち、病院から施設へと転転として、居場所がわからなくなっていたようでした。

こんな感じで、排便を除けば、まあまあ在宅での滑り出しは上々でした。

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パンドラ

Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

↓セミナー情報はこちらをご覧ください。

「セミナー情報」

↓以前のセミナーでの報告原稿はこちらをご覧下さい。

「両親の改善報告」
「患者家族としての気持ちの変化」
2009.5~6 報告

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