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2度目の退院後、2007年5月24日にグループホームへ入所しました。
が、ここは1週間の滞在でで退所することとなり、再び在宅介護が始まりました。

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■2007年5月9日から5月24日まで、誤嚥性肺炎で入院していましたが、経過良好で、無事退院の運びとなりました。
胃潰瘍での入院の時と同様に、退院と同時に施設へ直行することにしました。

みつこさんは、何が何だかわからないまま、グループホームMへ直行となりました。
グループホームへ到着し、みつこさんはお昼ご飯を頂いている間に、私と夫は荷物をまとめました。
荷物をまとめ終わると、この時に始めて、契約と言う段取りになりました。

さて、いざ、契約、今日から入所という段取りになって、かねてから疑問に思い、心配していた事を全部解消しておこうと、非常口の施錠のこと、室内の階段のこと、部屋の窓のこと、廊下の窓の事等々、理事長さん、施設長さんにお尋ね致しました。

すると、施設長さんが、一気に爆発されてしまいました。
「非常口からフラフラと徘徊する人、階段を階段と認識できない人、そういう人はうちではみることはできません。」
「ここは、共同生活の場なのですから、意思疎通の出来ない人は入居していただく事はできません。」
「どうしても、と言われるのなら、一筆入れて頂かなくては、お受けできません。」
「今からでも、お話はなかったことにして頂いて結構です。」と、立て続けに言われました。

理事長さんの「兎に角一度試してみましょう。」の言葉に、契約はする運びにはなりましたが、前途多難な船出となりました。この時点で私の気持ちは半分は決まってしまったように思います。
そして、この日から、毎晩夜は同室に寝泊りして付き添って様子をみることにしました。

■その日は、契約後、みつこさんをひとり残して、一旦家に帰りました。
夜、8時頃に、泊まり込み体制で、訪ねて行きました。
みつこさんには、2階のユニットの方が合いそうだという事で、1階から2階のトイレに一番近い部屋に変更して下さっていました。
日勤の介護士さんは既に姿がなく、夜勤者が2階に上がるまでの間、理事長さんがみつこさんの介助兼見張りをしていて下さいました。
私が夜訪ねて行った時の最初の一言が「これまでで、最悪の入所だっ」でした。
「この人、大声を出しよる。薬があわんのじゃないか。」と続きました。
何という、デリカシーのない言葉かと、悲しくなりました。この時点で、私の心は、すでに3/4くらいは、「ここは止めよう」という気持になってしまいました。

■施設長さん(理事長夫人)は、ご自分でもおっしゃったように、いざ、入所するとなれば、介護士さん一同にみつこさんにしっかり目配りするよう話して下さり、「できる限りのことはします。」と約束をして下さいました。
事実1週間の滞在の間、介護の方たちも、精一杯のことをして下さったと思います。しかし、今から思うと、小さな単位のグループホームは、経営が非常に大変だという事、なかなかぎりぎりの人数しか人手を置くことができないこと、規模が小さいだけに、人手に変わる道具(センサーなど)をいろいろ揃えることも大変だという事などがわかりました。

また、規模の小さいグループホームでは、家族からの希望、質問、お願い、全てが直接経営者に相談する事になり、ここで、言葉の行き違いなどで、うまく合わないことがあれば、それが全てに影響し、たいへん気まずい状態になります。

■さて、最初の1週間ですが、私の気持ちのうち1/4くらいは、淡い期待を持って、グループホームでの生活をスタートさせました。
初日こそ、理事長さんをして、「最悪の入所」と言わしめましたが、施設の方たち全員がみつこさんに集中して下さっているのはよくわかりました。

みつこさんも、最初の日は、2時間おきくらいに起きてトイレ誘導しましたが、トイレから戻ればまた眠っていましたし、だんだん起きる間隔も長くなり、最後6~7日目頃には、明け方まで一度もトイレに起きない事もありました。

お昼の様子も、「トイレ以外で排泄する」「人の部屋に間違って入る」などの行動はありましたが、帰宅願望もなく、食事も摂れているし、散歩も連れて行ってもらっているし、その他には何も問題はありませんでした。

ただ、「私が夜間付き添っていなかったら、どうなったか」それを試してみる勇気が出ないまま、不安な気持ちがあるのに、それを話し合って解決できないなら、ここは止めよう。
止めるなら、早い方がいい、長くなってから、止めてはみつこさんも戸惑うし、やり直しにも時間がかかる・・と、兎に角、止めようという気持に一挙に傾いて行きました。

グループホームにとっても、意思疎通の難しいみつこさんは、たいへんなお荷物であったことと思います。
家族の方からすれば、問題行動を話し合って解決策を考えてもらえないこと、そして最大の不信感は「念書」の提出を要求されたことでした。
きちんとみて貰っていれば、たとえ事故があって怪我をしたとしても、そのことで施設を訴えたりするつもりは毛頭ありませんでした。それなのに、そのことを書面で約束しろと言われたのは、とても悲しかったです。

そんな想いから、1週間目の朝、理事長さんに、話し合いの時間をとっていただくようにお願いしました。
その日の午後、理事長さん、施設長さん、同席の場で退所の希望をお話し、多少の驚きを持って、しかし、すんなりと受け入れられました。

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グループホーム入所の案内と2回目入院

ゴールデンウィーク直前にショートステイから自宅へ戻ってきました。
1回目入院から、2ヶ月ぶりのことでした。

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家に戻って、玄関を入ると、よしおさんは感激の面持ちでみつこさんを迎えてくれましたが、みつこさんはと言うと、昨日の続きのように、自然に家に上がって行きました。
猫たちの姿を見ると、とても嬉しそうでしたが、後は全く昨日の続きのような感じでした。

さて、それから3日くらいは、家の中の間取りがわからないようでした。
私は両親家に泊まり込み体制になりました。
夜、観察していると、10時頃から、眠ったと思っても、1時間くらいすると、むっくり起きて、どこかへ行こうとします。トイレに誘導しようとしても、素直にはなかなか聞き入れてくれず、手を振り払って別の部屋に行こうとしたりしました。

それでも、1日目よりは、2日目、2日目よりは3日目と言う感じで慣れていきました。
デイサービスも目一杯入れてもらって、何の問題もなく、楽しく行く事ができました。
家に戻ると直に落ち着いて、ショートステイでの大騒動は何だったのかと言うほど、普通になりました。

少し記憶が曖昧ですが、自宅で過している間に利用した介護サービスは、デイサービス(毎日)と、ヘルパーさんによる夕食の準備、介助、片付けのサービス(毎日)です。
みつこさんが入院前とは違って、たいへんな状態で戻ってきているので、ヘルパーさん導入に対してよしおさんの反対はなくなりました。それだけでなく、よしおさん、みつこさん、ヘルパーさんの3人で、食事中も話が弾むようになっていきました。

みつこさんは最初、会話に入れず、また、ヘルパーさんの介助は拒否するところがありましたが、それも少しづつですが慣れていきました。

当時の薬は大学病院精神科からの処方で、抑肝散3包、セロクエル0.3ml、アリセプト5mlでした。
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グループホームからの入所の案内は意外と早く、この連休開けには連絡が入りました。
5月7日、8日は、内科で胃カメラ検査の為、1泊入院の予定になっていましたので、グループホーム入所はその後の11日の予定にしました。

その間、グループホームへは、何度か足を運び、中の様子を再度、見せて頂いたり、理事長さんにお会いして、細かい詰めをさせて頂きました。
その頃から、最初の好印象とは、ちょっと違った、安全上の不安とか、理事長さんのお人柄への疑問などが浮上してきて私の中で、少しづつ膨らんでいきました。

当時、グループホームの方から言われていたことは、
  ■グループホームは認知症専門棟ではない。軽度認知症の人の共同生活の場である。
  ■あまりにも、帰宅願望が強く、いつまでも慣れなければ、考え直して頂くかも知れない。
  ■また、閉じ込める施設ではないから、外への散歩などは極力行きたい。怪我はある意味仕方がない部分も有る。その辺が理解できない方には、何が起きても文句を言わないということを一筆入れてもらいたい。
  ■あくまでも、お試し、、、ということで始めたい。
  ■ここは、あくまでも家庭の延長である。家の離れにいるのだと思って、できるだけ面会に来て欲しい。面会は24時間いつでもOK

というようなことでした。当時はこれらを好もしく思っていました。軽度認知症というのが、当てはまらないけれど大丈夫だろうかという疑問に対しては、それは試してみるしかないというお返事でした。
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連休中の家での生活も無事に終わり、胃カメラの検査の為、5月7日に一泊入院し、夜から絶食、8日の午後、胃カメラの検査をし、胃潰瘍もきちんと治っていること、異常ないことを確認して、当日退院しました。

夜は家で、久しぶりの食事をし、ゆっくり休んでもらいました。絶食の後、急に食事をしたことが悪かったのではないかと今は思っていますが、翌朝、訪ねて行くと、茶褐色の液体を多量に嘔吐していました。
隣の部屋で寝ているよしおさんは何も気付いていませんでした。
その時は、胃カメラで、胃に傷をつけたのではないかと心配して、退院したばかりの病院へとんぼ返りで、早朝時間外受診しました。

結果としては、原因不明の嘔吐による吐しゃ物を吸引したことによる、誤嚥性肺炎を起していました。
またまた、入院生活が始まり、グループホームへの入所は延期して頂くことで了解して頂きました。
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胃潰瘍での入院、退院後のアフターフォローを大学病院の内科に切り替えたのは、認知症の患者にとっては、入院はたいへんなこと、精神科と連携できる病院でないと、薬の点でも思うようにいかないという、先回の教訓を踏まえてのことです。

早速、精神科と同じ病院の内科へ入院する機会が回ってきてしまいました。
幸い、誤嚥性肺炎は順調に快復し、入院期間は約2週間でした。
ここでは、内科入院中にも、精神科の受診日には病棟へ診察に来てもらうことが出来ました。院内での様子をみて、精神科からの投薬も受けることができました。その点はたいへんよかったと思います。

こちらの病院は、つきそいさんを頼むことは、医師の許可があれば可能でした。逆に夜間は誰かについていて欲しいと頼まれました。ここでも前の入院と同様、午前中は家族がついて、午後と夜間はつきそいさんを頼みました。

病院の対応を比較してみると、良い所、悪い所、夫々様々でした。
前の病院は、付き添いは家族で24時間して欲しい、その代わり、ただ見ていてくれて、用事があればナースコールをしてくれれば良いということで、実際、とてもきめ細かく看護、介護してもらえました。
清拭、歯磨きも、若い看護師さんが毎日してくれました。トイレ介助も手伝ってくれました。
悪い点としては、精神科の薬がどうしても変えてもらえなかったこと。内科で管理していて、融通がききませんでした。

引き換え、大学病院の方は、薬の点では、精神科が独立して、みてくれたので、その点は良かったのですが、看護師さんの忙しさが上回っていて、看護も介護も、ほとんど何もしてもらえませんでした。
ナースコールをしても、緊急じゃないと「はーい」と返事ばかりでした。清拭も見た覚えがありません。シャンプーもなし、看護師さんの申し送りも上手くなくて、誰かがついているということがわかっているので、何もしてもらえないままでした。
良かったことのひとつは、パジャマが借りられたので、みつこさんの場合、日に何度パジャマを汚そうと、布団を汚そうと、一定の料金で、何度でも替えてもらっていました。

どちらの入院の時も、絶食期間が長く、それが解かれてからの、排便のリズムが狂い、排便の介助がたいへんなことになりました。この頃から、排便時に手や身体を汚すようになり、介護の転機を迎えました。

ちょうど、そうして、排便の後始末で大騒動をしていた時に、間が悪い事にグループホームから、施設長さんと看護師さんが面接に出向いて下さいました。排便後の大騒動の時は、当然ですが、機嫌が最高に悪く、人と会うなんてトンでもない状態です。ちょっとびっくりされたようで、みつこさんをベッドに残して、私が廊下へ出て、お話をしました。(続く)

2007年4月、胃潰瘍が軽快して退院後、ショートステイで過して居た時のことです。
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病院へ入院時、かかりつけの精神科の薬は病院が異なるため、全てストップになりました。替わって、入院中の病院で安静を保つ為、不穏状態を落ち着かせる為に、別の薬が処方されていました。
それは、リスパダールとグラマリールでした。1日3度処方され、お昼の間はとろとろ、なのに、逆に夜は眠らないで、廊下を歩いたりするので、夜にはとんぷくとしての睡眠薬も処方されました。その為に、午前中は眠り続け、午後の2時頃にやっと何とか目覚めているという、昼夜逆転の状態でした。
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退院時にも同じ薬が2週間分処方されましたが、1日も早く、朦朧とした状態から脱して欲しかったので、私の勝手な判断で、全て止めてしまいました。
2007年4月4日に退院すると、その足でショートステイ先へと向いました。病院入院時の初期には帰宅願望が激しく、出て行こうとするのを止めるのがほんとに大変でしたが、退院時には既に家が分からない状態で、ショートステイに移っても、「家に帰る」と言う言葉は出てきませんでした。

このショートステイは認知症専門と言う訳ではありません。一応、1階は認知症状のない方、2階が認知症の症状のある方という風にわけられてはいました。みつこさんは2階の看護詰め所の正面の部屋にして頂きました。

病院の様に、付き添いさんが居るわけではないので、夜間が2時間おきに見回りはあるものの、ひとりの時間が長く、すぐに問題行動が始まりました。
夜、寝付けない、寝付いてもすぐに目が覚める。室内に洗面台とトイレがありましたが、水を流しっぱなしにする。トイレの蓋をガタガタ鳴らす。床暖房のスイッチをがたがた言わせる。トイレの蓋にガムテープを貼って使えなくされると、トイレを探して外へ出る。他の利用者さんの部屋へ入る。詰め所へ侵入する。食堂の椅子を引っ張って歩く。。。等等。
でも、こういった困った行動も、みつこさんにすれば、理由のあることばかりでした。

1日1回はお昼に訪ねるようにしていましたが、「昨晩は眠れた。」「昨晩は眠れず、たいへんだった。」と1日おきに一喜一憂するような状態でした。
薬はもとからのかかりつけの精神科で相談し、アリセプト、抑肝散、セロクエルを処方されていました。飲み始めてすぐに効果が現われるわけもなく、認知症への対応に詳しい介護士さんもいないようで、「困った、困った」と言われながら、日が過ぎました。

ここでの対応のまずさが、みつこさんの不穏に輪をかけてしまいました。一生懸命みて頂いていたことは充分理解していますが、認知症の症状に対応するためには、専門の知識を持った人でないと難しいということがよくわかりました。
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ショートステイに滞在しながら、本格的にしばらく落ち着ける所を探していました。
老健で2ヶ所、まあまあと思えるところをみつけてはいましたが、どうしても、決心のつかないところが、私の心の中にありました。

①老健では、健康保険が使えません。老健独自の医療で、医療自体はおまかせすることになります。
薬の持込は可能ということでしたが、他の医療機関にかかることはできません。アリセプトなどの高価な薬は出ません。薬を持ち込むと言っても、入所前に医療機関で出してもらった薬を持ち込むことは可能ですが、それ以上に続ける事はできません。

②認知症の軽い人、重い人で、棟がわかれているところがほとんどです。みつこさんの場合は重い方になります。階で鍵がかかり、他の階への移動は出来ません。閉じ込められているというイメージは強いです。
また、お昼の間はロビーに出されて、お部屋には戻れないように、部屋には鍵がかかっているところがほとんどでした。
お昼に寝てしまうと、夜眠れないからと言う理由が多かったように思います。

お昼にもお部屋で休んでいる人のいた老健が、まあまあと思えた2ヶ所です。

③認知症棟ということで、生活がかなり制限されているところが多かったです。
個室に入れるところは少なく、入れても、問題のある人が入るというところがほとんどでした。
荷物は、原則的に、何も部屋に置かない。職員が全部預かるというところと、着替えくらいは身の回りの収納スペースに置いても良い所とありました。

①②③の状態に、どうしても「これで良い」とも、「仕方がない」とも、思えず、決心しかねている頃、グループホームMの話を耳にしました。

グループホームは認知症であることが入所の条件なのですが、認知症は軽度で、共同生活ができなくてはいけません。介護度で言うと3がリミットとうたっているところがほとんどです。
グループホームMだったら、みつこさんでもやっていけるかもしれないと聞き、兎も角、一度見学をさせてもらおうと訪ねていきました。
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訪ねて行ったグループホームMは、9人×2ユニットの18人の認知症の人のお家でした。
理事長さん、施設長さんご夫婦が住み込みで、介護士の人数に入っていました。
1階と2階の2ユニットで、鍵がかかっているのは、玄関のみ。後の移動は自由です。トイレは各階2ヶ所。洗面所は共同。お部屋は個室。食事はできる限り皆で一緒。席は決められて、椅子に名前がついています。
お庭にベランダもあり、そこでおやつを頂いたりしています。
こじんまりとしているので、とても家庭的で、理事長さんをお父さんとした、大家族のようでした。

お話を聞きに言ったその日に、仮契約と言うか、入所の予約をすることに成り行きでなってしまいました。家庭的な雰囲気が、老健とは打って変わって新鮮で、こういうところに入所させたいと、躊躇いもなく、お願いすることにしました。
しかし、その時点でも、空きができるのにはどのくらいの時間がかかるかは未定だと言われました。
予想としては半年くらいだろうか、それまで、ショートステイで繋いでいけるだろうかとか考えていました。
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その頃、ショートステイでの生活は、慣れるどころか、日に日に、不穏度が増してしまいました。
お昼の間にも、他の利用者さんに因縁をつけたり、目が合うと「何故、見るのか」と怒ったり、掴みかかってしまったこともありました。ステッキも振り回すからと取り上げられました。
大声、暴力、と思ってもみない言葉を聞くことになりました。
それでも、「お昼の間は目があるので、まだ良いのですが・・・。夜間が困ります。」と、訪ねて行くたびに言われるようになりました。

トイレを探して外へ出る。他の人のお部屋に入って、中で排泄する。自分の部屋のベランダの戸を開け、外へ出る。他の人の部屋の扉をどんどん叩くからと、自分の部屋に閉じ込められたこともあり、その時は中から扉を叩いて、その音に負けて扉を開けた。「昨晩の介護士は、くたくたです。」と言われたり、「どうしたら良いでしょう?」と相談されました。
一度はお昼に、非常階段の鍵を開けて、外へ出て、車の通る道路まで出てしまったこともありました。

このままでは、どうにもならないと判断して、夜間泊り込むことになりました。補助ベッドを入れてもらい、同室に休みました。見ていてわかったことは、夜間にトイレに起きて、方向が分からず、ベランダを開けようとしたり、外へ出て、お風呂へ行こうとしたり、全て、トイレの場所がわからないから起きることなのだとわかりました。
私が同室に泊まって、起きた時にトイレ誘導すれば、問題なく、また、眠ってくれました。
私が泊まりこんだ3日間は、何事もなく無事に過ぎましたので、1日だけ付き添いさんを頼んでみましたが、その時は「あなた、誰なの。出て行って。」と、不安をかけ立ててしまいました。
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ショートステイ滞在中に一度だけ、自宅へ戻り一泊しました。自宅に戻ったのは2ヶ月ぶりでした。
自宅でも、ショートステイと同様に、トイレの場所がわからないし、夜も眠れなくて、見ていると、1~2時間おきに、布団から出て、あちこちうろうろしていました。トイレ誘導すればまた、布団に戻るをいうことを繰り返して朝を迎えました。
自宅で一泊した翌日、ショートへ戻る前に、約束のグループホームへの本人の面接に連れて行きました。この面接時にショートでの不穏な状態をお話しましたが、面接では、本人がかなりリラックスしていたので、「やってみましょう」と、前向きなお話になりました。

ショートステイ滞在3週間を迎え、ちょうどゴールデンウィークに突入で、この間はショートステイは予約が取れていませんでしたので、それより2日程早めにショートステイを切り上げ、自宅に戻ることにしました。
この時点では、ゴールデンウィーク開けには、また、ショートステイに戻る予定をしていました。
自宅での滞在もどうなることか、どうするか、私自身は不安な気持でした。
みつこさんは、家に戻っても、何の感慨もない、というか、昨日まで居たような感じというのか、違和感なく家に上がりました。(続く)

みつこさんが特養に入所して早いもので1ヶ月が過ぎました。
おかげさまで、割合落ち着いた状態で毎日を過ごす事ができています。
前の日記にはその時その時で記録は残してありますが、もう一度、在宅が困難な状態になってから、実際に特養に入所するまでの間の出来事を、ここに、まとめてみたいと思います。

昨年の11月には、みつこさんはよしおさんの白内障の手術のための5日間の入院に合わせて、ショートステイ5日間、初体験をしていました。

あの時には、まさか、1年後に特養へ入所していようとは、思ってもみませんでした。

あの時の初めてのショートステイの後、みつこさんは、家に戻っても3日間くらい、家がわからなくなってしまいました。
「私、家に帰らなくては・・」と、徘徊をするのではないかと、とても心配をしたのを思い出します。
実際に、徘徊をすることはありませんでした。

当時は「食べ尽くし」の真っ最中で、私は毎夜、食べ物を持ち帰っていました。大きなエコバックに冷蔵庫の中身を詰めて、持っていったり、持って帰ったりの毎日でした。
それでも、全ての食べ物を持ち帰るわけではないので、みつこさんは枕もとにぐるっと食べ物を並べて、ひとりで、真夜中のディナーパーティーをしていました。

おそらく、それもあって、胃潰瘍になりつつあったと思うのですが、朝、行ってみると、嘔吐した跡があることがしばしばありました。
アリセプトのせいなのかと思って、嘔吐の有無を表につけて、アリセプトを抜いてみたりもしていました。

そんなことが続いた今年(2007年)の3月8日。とうとう吐血してしまいました。
その、何日か前から、足の痛み止めとして、ロキソニン(経口鎮痛剤)を飲んでいました。もともと胃を壊していたところへ、薬が入って、一挙に胃壁を溶かしてしまいました。

この時を境に、一挙に在宅で過ごす事が非常に困難な状態へと進んで行きました。

2007年3月8日から、2007年4月4日まで、家から15分ほどの所に有る中規模の総合病院へ入院しました。
認知症を発症してから始めての入院でしたので、命の心配はしたものの、入院するとどんな状態になるか、などと言う事までは頭が回っていませんでした。
試練は最初の日からありました。絶対安静状態であるにもかかわらず、本人は理解できないため、点滴は引き抜く、廊下に出る、尿管も抜き取る、、、など、大混乱になりました。
この時病院から申し渡されたのは、24時間家族で付き添う事、それが出来なければ転院(退院)して欲しいと言う事でした。

一時、通院している大学病院の精神科への転院を考えましたが、まずは、内科の治療を最優先にしたいと思い、思いとどまることにしました。

24時間の付き添いは、原則は家族でということになっていましたが、我が家は私と夫のふたりしか付き添える人がいませんので、それは不可能であり、「家族」という名目で、つきそいさんを頼みました。

本人に対しては、やはり治療優先で、ミトンの装着と言う身体拘束と、泥酔したようになって食事も眠りながらの状態になるほどの、薬物による拘束がありました。

幸い、1ヶ月ちょっとの入院で、病状は安定し、退院できるまでにこぎつけることができました。
病院では、1対1で、誰かがつきそう生活をしていたため、自宅に戻って、私ひとりで看護師さん兼、つきそいさん兼、主婦を兼任はどう考えても不可能でした。
当時はまだ、ヘルパーさんの導入も未経験で、どうしてみたら良いのかもわかりませんでした。

最大の問題は、入院生活で、排便時に手、身体を汚すようになったことでした。それを手助け無しに、たったひとりで介助することは、その当時の私には到底無理でした。

ということで、退院のめどが立った頃から、ケアマネさんと相談の上、まずは病院の医療相談から、退院後のアドバイスをもらうことになりました。
医療相談でのアドバイスは、病院と在宅との橋渡しということで老健への入所を勧められました。
具体的に空きのある老健を紹介して頂き、実際に見学に行く事になりました。
「今、空きがある。」と教えられた老健を訪ねて、愕然としました。詳細は省きますが、どうしてもそこへみつこさんをあずける気にはなれず、その足で、自分で他の老健を巡ってみることにしました。

みつこさんは、認知症対応棟に入る事になります。ここならば許せるかな(?)と思えるところは、数ヶ月は待たないと無理なようでした。

何ケ所かの老健を見学した後、直感でしかありませんが、2ヶ所、良さそうに思えるところに的を絞りました。
その、どちらかに入所できるまでの間を、ケアマネさんと相談の上、ショートステイに滞在して凌ぐことにしました。
1ヶ月か、2ヶ月か、どのくらいになるのか検討もつきませんでしたが、ショートステイ先はケアマネさんにお任せして、良さそうなところで、入れるところを探してもらいました。
こじんまりとしたショートステイで、1階、2階合わせてトータル10名くらいの利用者のところが受けて下さったので、退院の日から直接ショートステイに移ることにしました。
入院中に、ショートステイ先から、事務の方と看護師さんで面接に来て頂きました。(続く)
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パンドラ

Author:パンドラ
2009.10 笑顔のみつこさん
このブログは、ピック病のみつこさん(継母)が特養に入所した'07年10月から始めました。レビーmixのよしおさんは'07年11月から認知症の治療を始めることが可能となり、医療を通じて、ふたりをみることができるようになりました。ふたりの改善の記録とその後の看病、看取り、3回忌法要までを綴りました。

(NEW)2000~2007に、みつこさんが適切な診断と治療を受けていないことに、私は何故気付けなかったのかを考えてみたい、そのことが今困っていらっしゃる方の助けとなることを願って、ブログを再開します。
(2015年2月)

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「両親の改善報告」
「患者家族としての気持ちの変化」
2009.5~6 報告

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