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2012-01-11(Wed)
2012年になって |
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新しい年を迎えて、早11日です。
全くのんびりしたもので、新年を介護や看病でお迎えの皆さまのことを思いますと、申し訳ないような気も致します。よしおさんも、みつこさんもこの世に存在しない、初めてのお正月を迎えました。携帯の着信音にドキッとすることもなく、静かなお正月でした。これからずっとこうなんだな〜。 静かで、寂しいけれど、どこか清々しく、粛々とする幕開けです。 よしおさんも、みつこさんも、私も、夫も、それぞれに本当によく頑張ってきた5年間(10年間というべきか?)でした。 よしおさんとみつこさんは深々と頭を下げてそれぞれの「人生」という舞台を下り、私たちはよしおさんとみつこさんの人生の舞台の脇役から、あらたな自分の人生の舞台での主役としてあがり直した、そんな気持ちでいます。(これは、私だけの気持ちです。だって、みんなずっと最初から自分の人生の主役のはずだから。) 初老年期とも言える年齢とは言え、そこは子供のいない強み、生物学的には一度もお母さんにも、お祖母さんにもなっていませんし、何歳まで寿命があるのかもわかりませんから、自分が今、人生のどの段階にいるのかはわかりませんし、わかろうとも思いません。ただ、今日しかないかも、今しかないかも、と思いながら、今したいことをしていけたらいいな。いつか○○する・・・はきっとこないから。自分のしたいことが、ぐるっと回って、誰かの為になることでは、ありたいと思います。 まったく具体性のない、年の初めの「思うところ」になりました。具体的には何もかも未定です。でも、方向は決まっているので、かじを間違う事はないでしょう。 最近、何かにつけ、よしおさんやみつこさんのことを思い出します。夢中だった時より、今の方が冷静に物事をみれるようになってきたのだと思います。たとえば「食べたくない」という老人に、無理やり口へ食べ物を詰め込む功罪とか・・。私、ちょっと前から胃腸風邪をひいていて、食べ物を見ただけで吐き気がするのに、「食べなきゃ元気がでないよ!」と言われる辛さがわかりました。 私は理由も説明できるし、断れるけど、みつこさんは、要らないと手で跳ね除けたり、口をつぐんだりしていたし、よしおさんも「要らない」と言うのに、無理やり、「一口でも」と口へ滑り込ませて、げーーっと吐いたことがありました。ふたりとも、歯がゆくて、辛かったでしょうね。 ふたりの為に文句をいいつつも誠心誠意尽くしていた、おおいなる勘違いもありの日々が、少しづつでも誰かの役にたてますように、とも思っています。 2012年が皆さまにとって、よい年でありますように。 今日のなんくるカード --------------------------- 宇宙のひとしずく あなたは 宇宙の ひとしずく 宇宙の花火が はじけとぶ いつかは きっと 星になる。 |
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2011-12-30(Fri)
叔父の旅立ち |
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みつこさんの一周忌から1ヵ月と10日。
思いもかけず、みつこさんの一番下の弟にあたる私の叔父がこの世を去りました。 神戸に住んでおり、脳梗塞の後遺症で歩行に障害がありましたが、よしおさんの葬儀にも出席してくれましたし、みつこさんの一周忌にも「出席」の返事がありました。 ところが、一周忌直前になって、本人から直接電話がありました。 「たいへんなことになっちゃったんだ。体調が悪くて受診したら、癌がみつかって、胃全摘をすることになったから、行けないんだ。ステージ5なんだ。ごめんね。」ということでした。 でも、その時には、手術を勧められているのだから、最悪の事態ではない、まだ時間は残されているはずだ、また、一時は体力を取り戻して、会える日もある、と信じていました。事実入院するまでは、叔父本人とメール交換をして、こちらからは励ましていましたし、叔父本人も生還の決意を伝えてくれていました。 その後、従弟と電話やりとりをするうちに、しだいに運命の道筋が解き明かされていくことになりました。手術は無事に終わり、翌日には歩行練習を始めたそうなのですが、直に、発熱、誤嚥性肺炎を起こしてしまいました。詳細はわかりませんが、肺炎は合う抗生物質がみつかり治まったものの、肺に膿と水が溜まり、自発呼吸もままならず、気管切開を受け、人工呼吸をして、2度とICUから出ることはありませんでした。 みつこさんの葬儀で号泣してくれた叔父でしたが、よもや1年後には自分も彼岸の人となるとは思っていなかったことでしょう。誰もそんなことは思っていませんでした。みつこさんの一周忌にも、何としても出席したい、みんなに会いたいと言い張ったそうなのですが、「そんなことをして、具合が悪くなったら皆に迷惑かけるし、第一自分自身が取り返しがつかなくなるかもしれんし・・」と従弟が無理やり止めさせたそうなのですが、でも、こうなってみたら、「行かせてあげたらよかったんかなあと思う。」と言っておりましたが、こうなるとは・・・本人は無意識の世界で感じていたのでしょうけれど、まわりの誰も思ってもみないことだったのですから、しかたありません。 みつこさんの兄弟姉妹は、もうひとりの叔父だけが、元気でおりますが、あとはみんな彼岸の人となりました。亡くなった叔父も、あちらで家族同窓会を開いていることでしょう。残された従弟3人には、「兄弟みんなでお母さんを支えてね。」と伝えていることでしょう。 合掌 今日のなんくるカード --------------------------- わくわくチムドンドン わくわく ドンドン チムドンドン 感動 ドンドン ふくらむさぁ 夢も ドンドン ひろがるさぁ *チムドンドン: 心がドキドキすること |
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2011-10-17(Mon)
あれから一年 |
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今日、10月17日はみつこさんの祥月命日です。
早いものであれから一年が経ちました。 一年の月日は短いようで長い。 先回の記事(よしおさんの四九日)を読み返してみると、あれから4ヵ月で既に自分の気持ちが大きく変わっているのを感じます。 みつこさんも、よしおさんも、どちらも亡くなってしばらくは、もっとできることがあったのではないか、もっと良い方法があったに違いないと自分を責める気持ちが消えませんでした。回りからは、みつこさんに対しては充分過ぎることをした、もうこれ以上命を伸ばすことは返って本人には辛かったはずと言われましたし、よしおさんに対しては、92歳という年齢から、たとえこの時上手く快復できたとしても、やがて近い将来何らかの他の疾患が出てくるに違いない、もう天寿だったのですよと言われました。 それらの言葉は認めざるを得なかったけれど、本当に納得できたのかと言えばそうではありませんでした。考えてみれば、どれだけ自分の力の限りを尽くしたところで、「これで満足じゃ」と言える地点などあるはずがありませんが、そこを極めたいというような気持ちの中にいました。 しかし、時は優しく、早い遅いはあれ、必ず気持ちを冷静にしてくれます。どういう亡くなり方をした場合でも、それは回りの家族や看取った人が操作できるものではなくて、きっと最初から(生まれた時から)決まっていたものに違いないと思えるようになりました。 ですから、ふたりのことをきっちりと看取り、見送ったこと、そうできたことに安堵の気持ちを感じ、ふたりに対しては、介護、看護の期間も含めた全ての私との関わりについて、感謝する気持ちがわき上がってきました。たとえようもない大きなものを学ばせてもらったのだと、今は思えるようになってきました。 さて、私自身の変化は・・・、なかなか進みませんが、それでもひとつ。11月末のクリスマスコンサートに向けて合唱団の一員として練習に励んでいます。よしおさんの一周忌がめぐって来る頃までにはもうひとつふたつ、何かを始められたらいいなと思っています。 今日のなんくるカード --------------------------- 聞き耳頭巾 よくよく聴いて 耳澄まし 感じてごらん 心のままに 聞き耳頭巾は 聞き上手。 --------------------------- |
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2011-09-01(Thu)
大人の歯科矯正治療最終報告 |
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大人の歯科矯正治療最終報告(2011年9月1日)
![]() 矯正装置が外れてから1ヵ月ほど後に検診があり、それでOK出て、今度は矯正によって、奥歯の被せ物がうまく合わなくなっている部分もあるので、きちんとやり直すのであれば、一般歯科に戻って治療をしてくださいと指示が出て、乗りかけた船ですから、できるだけのことはしようと4月から治療を進めていました。 奥歯の被せ治しをし、かみ合わせなどをきっちりと合わせてもらい、歯と歯の隙間も適切な量になり、1本だけ残っていて邪魔をしていた親知らずを抜き、最後にブリーチをして白い歯を取り戻し、っと、出来る限りのことをしました。 59歳から矯正を始めて、2年と4ヵ月。こんな健康な歯を取り戻せるとは思っていませんでしたが、結果は大満足。歯の健康面でも、見た目の審美的な面でも共に大満足です。 うどんも、スパゲッティも噛み切れなくて、人前で食べることに不安がありました。それも解消。見た目は画像を見て頂くとわかるように、歯並びがきれいになっただけでなく、手術をしなくても骨格も変わり、顔の輪郭も変化しました。元は受け口だったのですが、顎の位置も変化しました。骨の変化に伴って筋肉も変化するそうで、筋肉だけがだぶつくということもありません。 矯正を始めた時にはふたりそろっていた両親も、終わった時にはふたりとも彼岸の人になっていました。きっとずっと見守っていてくれたのだろうと思っています。 もし、矯正したいけど、年だから、とか、もう今更とか思っていらっしゃる人がいたら、大丈夫、思い立った時が吉日です。遅過ぎることはありませんから、勇気をだしてねとお薦めします。 |
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2011-06-06(Mon)
よしおさんの忌明け法要 |
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もう、このブログをご覧頂いている方はないかもしれませんが、今日はこそっと私の近況を更新してみようと思います。今週の水曜日6月8日はよしおさんが亡くなってちょうど7週目の四九日に当たります。先週の土曜日6月4日に繰り上げて忌明け法要を執り行いました。
極々身近な親族だけの法要でしたが、その中で従弟の一人は奥さんの母親が認知症で混乱していて、病院に行っていたけど悪くなるばかりだったけれど、みつこ&よしおさんの認知症の主治医に(偶然)かわってから落ち着いて何も困ることがなくなったと話していました。 もうひとりの従弟が母親がどうもこのごろ変だと言うと、別の従兄が「年取ればそのくらい当たり前だよ。」と応じていたので、ここぞと「いえいえ、そのくらいの時に治療をすれば、認知症は進行しないか、よくなります。絶対に受診した方がいいよ。」と、先生の名刺を渡して、強力に勧めました。何も変な治療をしていないというのは救いです。きっと良い方へ向くと思います。法事の席でこんな話ができるということに時の流れを感じました。 不思議なことに、あれから、みつこさんの夢は一度も見ていませんが、よしおさんは何度か夢に出てきました。何にも言わず、ただニコニコしています。好々爺のままです。「死ぬってこういうことだったのか、恐れていたけど怖くなかったよ。」って言っているような気がします。 全力で介護、看護をしてきたけれど、みつこさんが亡くなって急ブレーキがかかった状態で失速中に、続いてよしおさんが亡くなり、もう私は前につんのめって転びそうな状態でした。まだまだ自分の時間を自分のやりたいことに当てるという状態にすっぱりと切り替わらず、今はまだふたりの為にとつっぱしっていた時を振り返って懐かしみ、「ちょっとやり過ぎだったかな〜」、なんて思ったりもしています。 みつこさんは、最後肝癌になっていて、その為に意識障害が出ていたのを、認知症の末期的症状だからと思って、一生懸命にフェルガードで覚醒できないかと頑張っていました。ああ勘違いですね。もしかしたら、みつこさんだけはわかっていて、それを言葉では表現できなかったのだろうけれども、みつこさんにも施設の方々にも申し訳ないことをしました。でも、みつこさんはそういう私の勘違いな頑張りの全てを飲み込んで、許してくれていたというか、私に「ごめんね」と言ってくれたのかな? よしおさんは、どこかの時点で胃潰瘍になっていて(胃癌だったかもしれないけれど)、ひたすら食欲不振だけを訴えていましたが、何故かエンシュアのバニラ味が好みでそれだけは充分飲めていました。それが飲めなくなっていった時に、それ以上の医療を施さなければ、そのまま自然死(衰弱死とも餓死とも言う)したでしょう。もしもそうしていたら、その後の1ヵ月半の苦しい時間はなかったことでしょう。でもやっぱり最後の1ヵ月半は家族が納得するために必要だった。本人にとっては苦しい時間だったかもしれないけれど、肉体が滅びていくことを納得する時間でもあったと思う。だからよしおさんに対しては「やり過ぎ」とは思っていない。 よしおさんの霊は四九日を過ぎて、少しづつあちらの世界へ昇っていくことでしょう。ふたりそろって家に居た頃を想い浮かべてみたり、ふたりのそれぞれの最後の日々を振り返ってみたり、そんなことをしながら今の私の日々は過ぎています。でも、そろそろ気持ちを切り替えて、後どれだけ残っているのかわからない自分の時間を自分流に過ごしてみようと思っています。次回更新出来る時があれば、その時までには何かご報告できるようなことが始められたらいいな〜と思っています。 今日のなんくるカード --------------------------- アファメーション 力強く 心をこめて 宣言しよう 自分の夢を 断言すると 実現だ! *アファメーション:宣言 |







